2024-08-15 16:22:12
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
Comments (0)
【修正しました】【推敲しました】 わたしは日本国を甦らせるために、野心なく野望なく内閣総理大臣になろうと努めておりますと英霊にご報告するなかの、敗戦の日
▼朝まず、超党派の国会議員と共に、靖國神社に正式参拝をいたしました。
参拝のまえ、国会議員は集合し、全員の玉串料をひとつに集めて元海上自衛官の大塚宮司にお渡しします。
そして宮司から朝の言葉をいただきました。
大塚宮司は「靖國神社は歴史をジャッジするところでは無く、英霊に感謝する場です」という趣旨を仰いました。
中韓による不当な内政干渉への反論を、さりげなく示唆されたと考えています。ただし、わたしの勝手な解釈です。
その後にわたしは、宮司に「素晴らしいお言葉をありがとうございました」と述べました。
集合したとき、隣に居たのは偶然、総裁選をめぐって話したかった、外交通の良心派の自由民主党議員でした。
小声ですこしお話をしました。
▼写真は、参拝を終わって、靖國神社を去る時です。
しかも拝殿や本殿とは反対向きで撮りました。朝から8月15日に参拝に来てくださった主権者のみなさんを中心に撮りたかったからです。
偶然、日章旗も、旭日旗もちゃんと写っています。
▼超党派の国会議員はまず、靖國会館に集まりました。
そこから、冷ややかなカメラの放列のなかを、向かいの到着殿に上がり、そこから、ふたたびカメラの狙うなかを拝殿へ上がります。
ここではまだいつもの風が吹かず、わたしは、それもありのままに受け止めていました。
拝殿から真っ直ぐ、本殿に上がります。
そこで、いつもの爽やかな風が吹きました。
いつも思うのですが、日本の祈りはほんとうに簡素です。二礼二拍手一礼で、すべてを語り尽くしました。
硫黄島の英霊にも、白梅学徒隊の少女たちにも、ほとんど一瞬で語り尽くしました。
▼靖國神社から武道館に移りました。
敗戦から79年目の全国戦没者慰霊祭の会場に入り、パイプ椅子に着座しました。
すると、ここでも総裁選について語りたかった、良心派の若手議員が隣です。
「あえて参議院から総裁選に出馬します。それぐらいでなければ自由民主党は変われません」と小声で話すと、ショックを受けられて驚かれました。
もちろん、他の議員は、党派を超えてほとんどがわたしの出馬宣言をご存じです。
しかし、地元を一生懸命に回られていたこの当選1回生にとっては、知らない、予想外のことだったわけです。マスメディアの完全無視戦術は、議員にすら有効なことがあります。
▼写真は、追悼式が始まる、ずっと前です。
そうでなければ写真は撮りません。
まだ、ご遺族の方も自由に、舞台の前へ来て写真を撮っておられます。
当然ながら、天皇皇后両陛下の親臨もまだまだの時間です。
「全国戦没者追悼式」の看板の上が切れて写ってしまいましたが、わたしは、「全国戦没者之霊」の文字を見上げておられるご遺族の後ろ姿が印象的だったので、それを中心にしました。
▼一階席の様子です。
去年は、感染症対策で二階席でした。
▼だんだん開始時刻が近づいてきて、参加者で埋まっていきます。
しかし、これでもまだ開始までには充分に時間があります。
このあと、天皇皇后両陛下が、いつもの穏やかに鎮まられているご様子で、親臨なさいました。
そして厳粛に式が始まり、進行していきます。
▼そしてすべてが終わり、外へ出ようとした時、また偶然に、総裁選について話したかった自由民主党の重鎮と隣り合って歩きました。
お互いに小声でお話をしました。
今日、偶然にお会いしたお三方には、いずれもあらためて話しに行く約束ができました。
なんとなく、こうなると予感していました。
ただ、それで何かが上手く行き始めている、ということではまったくありませぬ。
今は裏切りに次ぐ裏切りに直面しています。
しかし、ここが肝心なところですが、周りからは裏切りにみえても、わたし自身はそう思っていないのです。
理屈ではありません。
そりゃ、それぞれの議員、色々あるでしょう。
いいじゃないですか。また一緒にやれることもあります。間違いなくあります。
▼そしてみなさん、きっとお気づきですよね。
そうです、安倍総理の国葬が挙行された時と同じ眺め、同じ武道館です。
わたしはどうしても、『反回想 わたしの接したもうひとりの安倍総理』 ( 扶桑社 / 予約はここです ) の念校ゲラ直しのことを考えました。
アフリカで、ナマケモノ ( 謙遜にアラズ ) のおのれの尻を懸命に叩いて、ホテルの夜中、長いフライト、悪路で揺れに揺れる陸路いずれも懸命に、再校ゲラ直しに取り組んで、予定より1日早く、再校ゲラを完成させたので、念校ゲラ ( 念のための最終確認のための仮印刷 ) を出してもらえます。
あの受け容れがたい暗殺から、2年がかりで、原稿を苦しみつつ書いているあいだ、ずっと、まるで生きている安倍さんと対話しているようでした。
初校ゲラ直し、再校ゲラ直しと進んでいくあいだもずっと、寛容で温厚な安倍さんは「そんなことまで書いて・・・」とは一度も仰らず、ずっと、つきあってくれました。
それは、まさしく「もうひとりの安倍総理」です。
▼いまは、京都で開く独立講演会のために、台風を考えてすでに関西に入っています。
ここに念校ゲラが届きます。
きっと最後まで、安倍さんは、生き生きとなさっているでしょう。
そして9月5日に都心の書店へ搬入が始まり、9月7日から全国で発刊することになります。
▼靖國神社の正式参拝と、武道館での「全国戦没者追悼式」が終わってから、ひとりで、千鳥ヶ淵の戦没者墓苑に墓参しました。
無名戦士と無名の国民、それぞれの戦没者のご遺骨が37万と700人、安らいでおられます。
献花をいたし、深い祈りを捧げました。
そして関西へ出発したのでした。