On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2024-08-20 03:25:50
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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片足づつの靴



▼京都劇場で8月17日土曜、独立講演会 ( 次回はここ ) の長尺4時間40分を終えて、退場するとき、およそ千人の主権者から、熱い拍手で東京での総裁選本番へ送り出していただく心境でした。
 深い感謝の気持ちが消えません。

 翌日の8月18日日曜、帰京する機中などのスキマ時間を使い、新刊の『反回想 わたしの接したもうひとりの安倍総理』の念校ゲラ ( 念のため最後にもう一度、刷ってもらった仮印刷 ) の全文直しに取り組みました。
 そして最終締め切りのギリギリ、夕方5時過ぎに完成させて、分厚いゲラを編集者に手渡しました。

 これで、2年のあいだ苦しみ続けたひとつの仕事が終わったのでした。
 おとどしの夏、安倍元総理の暗殺ののち、原稿を起稿しました。
 公務の終わった深夜、それから次の公務の準備として海外との議論を始める、そのまえの未明、この時間帯にコツコツと原稿を書きためて、それが本2冊分の大量原稿 ( 400字詰め原稿用紙換算で589枚 ) となりました。
 しかし、ただの1枚も編集者に渡さず、苦悩し、それをようやく本1冊分に削り込んで、2年越しで編集者に渡しました。
 編集者と、版元の扶桑社がすぐ初校ゲラ ( 仮印刷 ) にしてくれて、その直しを完成し、それを再校ゲラにしてもらい、アフリカ出張に持っていきました。
 遙かなサブサハラのアフリカへの往復、その長い計48時間の機中と乗り換え時間、アフリカでの公務の終わった深夜・未明に、休まず眠らず直し続けて完成しました。
 帰国直後に編集者に渡し、念校ゲラにしてもらって、関西の出張先へ送ってもらいました。
 そして、やはり機中と深夜・未明に直しを続け、とうとう最終完成版を、東京の自宅で編集者に渡したのでした。

 渡して、ホッとして、ブログのコメントを読むと、こんな書き込みがありました。
 わたしが、この新刊の価格を抑えてくださるよう編集者を通じて版元と交渉し、版元が凄い努力で千円台に収めてくださったというエントリーに対してのコメントです。

「値段の付いている本ではなく、動画にしろ。動画ならほぼ無償だ」
「それが嫌なら、自費出版か同人誌にしろ」

 実際はもっと長文です。上掲は趣旨です。
 これが中傷誹謗のコメントなら、全くどうということはありません。
 しかし、ご本人は真面目に書いておられるというのが伝わります。たとえば「動画ならほぼ無償」としておられるのは、おそらくたとえば電気代がすこしでも掛かるとか、そもそも動画を視るのにスマホやパソコンが必要だから、その購入代金の何万分の1 ? かは掛かっているんだ・・・というニュアンスかなと思います。
 そう考えておられるから、「無償」ではなくて「ほぼ無償」なのでしょう。いわば正確に書こうとされているのではないでしょうか。

 2年の苦闘をようやく終えた解放感が、げんなりしました。
 動画はすでに、大きな犠牲を払ってでも収録を続け、主権者のみなさんに無償、無条件で公開しています。わたしはスポンサー料も受け取りません。
 それが「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」ですね。4年と1か月で1357本、視聴回数3億3千9百万回を超えています。
 昨夜も、これをアップしています。岸田総理の突然の退任宣言について、水面下の情報を責任を持って集めたうえで読み解いています。
 これ以上、どうしろと仰るのでしょうか。

 それにコツコツ文章を書き続けてきたことを、なぜ動画に置き換えねばならないのでしょう。
 本はあくまで本、動画とはメディアが違います。
 わたしだけではなく、日本文学の伝統も否定なさっていると感じます。
 さらに、ドストエフスキーも三島由紀夫さんも、とにかくプロフェッショナルな作家、職業としての書き手の否定もなさっているのではないでしょうか。
 一体なぜ、こんなことを言われねばならないのか。
 もちろん、たったひとりのかたです。
 少数の不可思議な声にかかわるなと、みんなは言ってくださいます。
 その通りですね。しかしわたしは常に、少数の声も異端視しないで、耳を傾けることを信念にしているのです。

 国会議員とは、こんな理不尽なことも言われねばならない存在なのかとも考えます。
 それは、わたし自身が覚悟を決めて国会議員となったのだから、引き受けねばなりませぬ。
 それよりみなさん、一体、日本はどうなってしまったのでしょうか。
 ぼくらの祖国は、世界に誇る日本文学の伝統を持つ国なのです。
 その伝統を護るためにも、この新刊を9月7日に世に問います。



▼わたしは、国会議員であることと、作家であることを両立させています。法的にも問題ありません。
 そして総裁選に挑んでいます。
 どんなに嫌な気持ちになっていても、それからマスメディア、オールドメディアが、いちばん早かったわたしの出馬宣言を無かったことにしていても、この事実は変わりません。

 そして、総裁選のあいだも世界や国民経済、また文化を忘れることはありませぬ。
 だからアフリカにも行くし、作家としては異例の価格引き下げ交渉もするし ( 価格が下がれば作者の受け取る印税も下がります ) 、新刊も出します。
 同時進行で、総裁選出馬のために推薦人集めも、非常に早くから取り組んでいます。
「推薦人になる」と男の約束をした人が、切り崩され、引き剥がされ、それでも淡々と続けています。
 ご自身の野心のために長老支配に手を貸すさまを、ありありとこの総裁選にみているからこそ、ポストで釣らず、親分、ボス、長老に差配されず、おカネを使わず、淡々と、しかし倦まず弛まず続けていきます。

▼昨夜は、とても重要な人物から「青山繁晴が総裁選に出馬しなくてどうする。私は推薦人になり、変節はしない。そもそも党員数3年連続1位の青山さんが出ないなら、それはおかしい」という言葉もいただきました。
 他候補の推薦人として確定したと報道されている人から、「ほんとうは違う考えもあり、苦悩している。9月の総裁選告示 ( 9月12日 ? ) まで時間がある。考えさせてほしい」という、純粋な志を感じさせる言葉も聴きました。

 夜が明ければ、ふたたび早朝から、自由民主党の議員を訪ねて歩きます。
 電話で済ませたりは致しませぬ。
 お会いして、眼を見て、なぜ総裁選に参院議員が出馬して、根っこから変えねばならないかをお話しします。

▼かつて臨時特派員としてペルーに居たとき、子供たちがサッカーの練習をしていました。
 驚くほど上手なのです。
 ところが、ぺちゃんこの運動靴を片方しか履いていません。左足は裸足です。

 当時は喋っていた、怪しいスペイン語で「もう片方はどうしたの」と聴くと、「あれだよ」と言って、すこし幼い子を指差します。
 見ると、やはり靴が片方だけです。

 二人は実は兄弟で、お兄ちゃんが自分の靴を片方、弟に譲っているのです。
 弟は、大きすぎる靴を懸命に左足だけに履いて、ボールを追っかけています。
 わたしはあの兄弟を終生、忘れることはありませぬ。

 ペルー人も日本人も同じです。
「生活が良くなったなぁ」と主権者に実感してもらうのが、まつりごと ( 政 ) です。
 岸田政権の最大の誤りは、国民生活を苦しくして恥じないことです。背後にあるのは、財務省支配です。マスメディアの報じる候補者は、実はみなさん、財務省と深い仲です。

 前述の重要人物は「財務省とほんとうに対決して、減税をやれる総理は、青山さんだけです。他に誰ひとり居ない。それをやれば、殺されかねないから。殺されてもやるのは、青山さんだけだ。だから私は、青山総理一択だと、すでに他の議員に話しています」と、決然と、しかし静かに仰いました。
 この自由民主党衆議院議員の見識、男気、そして勇気に、深い畏敬と感謝を感じています。





 
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