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2024-09-02 00:12:20
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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出口 ( いでぐち ) 太・前公設政策秘書は長崎県五島市の市長に当選しました 五島市民のみなさん、五島の野口市長と道脇幹事長、金子容三衆議院議員、山本啓介参議院議員、そして全国のみなさん、ありがとうございました
※わたしの参議院議員1期目に『ぼくらの国会』の講演会を準備するため札幌に入った時に、わたしが撮りました。
議員会館の青山繁晴事務所の当時のメンバーです。
左から三浦麻未・公設第一秘書 ( 現・公設政策秘書 ) 、まんなかが出口太・公設政策秘書 ( 五島市の新市長 ) 、そして入間川和美・公設第二秘書 ( 現在も同じ ) 。
青山繁晴事務所は、当時も今も、3人の公設秘書だけです。
わたしの議員事務所は、日本だけではなく世界の例外で、秘書さんは献金を集めない、パーティ券も売らない、後援会も地元もわたしが作らずその対応も無い、団体支持お断りで団体への対応も無い、完全無派閥なので派閥対応もありません。
それでも、数多い党員への対応や、動きが多様なわたしの日程調整などがたいへんすぎて、一度、私設秘書を公募しました。
しかし沢山の面接を経て採用した、唯ひとりの方が純然たる自己都合でお辞めになってから、みんなで話し合って「やはり公設の3人で行こう」となりました。
出口秘書はそのなかで、国会の動きの把握と予測を中心に、よく力を発揮してくれました。
※やはり『ぼくらの国会』の準備だったと思いますが、みんなで沖縄に入った時に、これは三浦麻未秘書が撮ってくれました。
出口秘書の後任の公設政策秘書には、公設第一秘書だった三浦麻未秘書が就き、公設第一秘書の後任には、ふたたび沢山の面接を経て、経験豊かな川村香奈枝さんが就いています。
▼さて、この出口秘書が、「子供の頃のからの夢でした」と五島市長選への挑戦をわたしに相談し、わたしは即座に認めました。
そして野口市太郎・五島市長がわざわざ議員会館の青山繁晴事務所を訪ねてくださり、出口秘書を後任に指名なさることを約束してくださり、今回の市長選でもその野口市長の支えが決定的な意味を持ちました。
野口市長は3期目、充分に4期目に立つことがおできになったのに、あえて出口秘書に道を譲ってくださったのです。
▼わたしは現地入りを二度、具体的に準備し、調整しました。しかし、まったく予想外の出来事が現地周辺であり、わたしを含め事務所の全員が苦悩しましたが、入ることを見送らざるを得ませんでした。
選挙活動では、野口市長、地元の自由民主党の道脇幹事長ら幹部のかたがた、出口太候補を推薦してくださった自公両党の関係者のみなさん、衆院の金子容三議員、参院の山本啓介議員らが、出口太候補の努力が実るよう、具体的に支えてくださいました。
すべての方々に、深くお礼を申しあげます。
▼出口太候補からは、9月1日夜の早い段階、9時39分に電話があり「当選です」という喜びの報告がありました。
わたしからは、出口太新市長は、その優れた政策アイデア力を活かして、日本の誇りのひとつである美しい五島、中国と対峙する大切な国境離島でもある五島を、護り、育み、市民生活をさらに良くする名市長になってくれるようお願いしました。
同時に若干の重要なアドバイスを、責任として申しました。
そのあと、わたしは時間をかけて、電話のできる関係者にはみな、お礼の電話をいたしました。
電話が繋がらなかった方には、きょうの月曜日にふたたびお電話します。
さらに、直にお礼を申しあげるために、いずれ五島をお訪ねします。
▼さぁ、出口太新市長、あなたが本来の力を発揮されることを、こゝろの底から祈ります。
そして、五島の市民以外からも、驚くほど沢山の関心と支援を、広く全国のみなさんから、このブログへ頂きました。
みなみなさま、ほんとうに、ありがとうございました。