2024-09-29 14:18:51
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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日本がんじがらめ党の総裁選 戦い済んで日が暮れて 主権者のためのリアル現場ドキュメント その2
▼きょうの日曜も、出張です。
落選しても志を保つ前衆議院議員のために朝から深夜まで丸一日を費やします。
参議院議員となって8年2か月、ずっとこのように致してきました。在籍中、落選中を問わず、祖国への献身の意思 を持つ人には、このように応援してきました。その意思が濃い薄いもいちいち問いません。あらかじめ選別するようなことは、いけません。
かといって、それらの議員と利害関係はつくりません。ここが、派閥のボスと違うところです。
そのために、こうやって応援してきた議員も総裁選になれば、大半は、利害関係のある人々の言うことを忠実に聞き、わたしの応援を、結局は放棄しました。
その構造が、あらためてよく分かったことは、総裁選で当事者となった大きな収穫です。
もとより、誰も責めません。
▼幕末の初期から中期、後期の始まりまで、草莽の志士は、旧体制の分厚さに打ちのめされ続けたでしょう。
その草莽の志士のほとんどが殺害されるか自決に追い込まれ、その屍の上にやがて急激に時代が動き、西洋列強に対峙できる日本へと一変しました。
不肖わたしも、草莽の出です。
草莽、そうもうという言葉の意味は、現代ではやや修飾も加わって拡大解釈されていますが、もともとは、ただの在野、民間という意味です。
わたしは民間の専門家として、世界を相手に日本のために五分野にわたって実務を担ってきました。草莽の議員です。
したがって無駄に死ぬでしょう。屍となり、忘れ去られ、その土壌の上に新しい日本が生まれるかどうかを見ることなく終わるでしょう。
なにも問題ありませぬ。
▼さて、もはや過去ではありますが、9月27日金曜日、総裁選の当日です。
議員がまだ無人の会場に入ったあと、わたしが何を考えていたか。
この先に起きることが、これまで予測してきた通りになるという予感がしていました。それが、自由民主党の正体である日本がんじがらめ党です。
▼やがて会場が議員で一杯になり、1回目の議員投票が始まりました。
まず衆議院議員の全員が投票してから、参議院です。
名前を呼ばれ、岸田総理らの居並ぶ前を通り、短い階段を登って舞台に上がり、男性の党本部職員に名刺を渡しました。これがルールです。顔パスは無いわけです。
2歩ほど前へ進むと女性の党本部職員が投票用紙を渡してくれます。
職員はふたりとも、温和な笑顔です。
9人の中に、派閥とカネ問題のさなかの総理総裁として適任だと思う人が居ないからこそ、権力への野心なく、権力への野望なく、手を挙げたのです。
それにもかかわらず、どなたかに投票せねばなりません。
その内心の鬱屈が、この職員おふたりの良き笑顔で、ほんのちょっとだけ、癒やされました。ありがとうございました。
▼わたしがひとりの党員であれば、棄権も、白票も、無効票も、その権利はあると考えます。
しかしわたしは、それらはすべて絶対にいけません。なぜなら、わたしの議員票は、主権者から託された1票だからです。
誰かおひとりの名を、きちんと丁寧に記さねばなりません。
▼わたしは投票のブースへ進みました。
その時に思い出していたのは、議員会館の青山繁晴事務所から党員になってくださった党員の方から、このブログに頂いた書き込みです。
この党員は、郵便投票ではなく、わざわざ自由民主党東京都連に出向いて投票してくださったそうです。「投票が他の人に見えないようにするためのブースの設置すら無く、党員投票への敬意が感じられなかった」と指摘されました。
まことに正当な指摘だと考えます。
『そのことが、この1回目投票のあとの決選投票で党員・党友票が突如、小さくされてしまうことにも繋がっている。総裁選の改革もまた必要だ』と考えながら、据え付けのペンではなくおのれのボールペンで「加藤勝信」と明瞭に記しました。
なぜ加藤さんか。
その理由は、ひとつ前のエントリーで誠を心がけて記しました。
しかしご自分の眼にされた情報だけで憤怒、不満、罵声を寄せられるのが、ネット時代の多数派です。きっと今回もそうでしょう。
しかし、同じことを記したりしません。
関心のある方は、よろしければ、ひとつ前のエントリーをさらりとご覧ください。
▼もう落選議員のための日程が始まります。
いま車中です。まもなく降車です。
したがいまして、この続きはまたあとでお願いします。
▼いつも通り、いかなる時も主権者への発信をやめません。
「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の最新版は、護衛艦「すずつき」の艦長を中国絡みで不当にも実質的に更迭したことを厳しく問うています。ここです。