On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2024-10-14 01:00:28
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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胸を抉る心配ごと



▼この異様な解散総選挙のあと、ぼくらの祖国が一体どうなるのか、それがみなさんとわたしが共に深く心配していることですね。
 わたしには、もうひとつ、胸を抉 ( えぐ ) られる気持ちでいる心配ごとがあるのです。

▼それは、神戸市の衰退していく一面と、兵庫県政の想像を絶する混乱です。
 
▼突然にこんな写真を出して申し訳ない。
 これは、神戸大丸デパートの屋上です。
 幼い頃の遊び場は、神戸港のメリケン波止場、そして智仁勇で知られる楠木正成公の湊川神社、それから神戸大丸の屋上でした。
 メリケン波止場では、外国船を見あげて、海外への関心を持ちました。
 湊川神社は、屋台で売っているおもちゃの剣を買ってもらって、境内でちゃんばらをする場所でした。
 神戸大丸は、屋上でゴーカートに夢中で乗るところでもありましたし、大食堂がもの凄く楽しみでした。

 父は、古い繊維会社を経営する家の末っ子でした。その父が繊維会社の神戸支社に出されているときに、わたしが神戸で生まれました。
 父の兄たちが、当時としては珍しい大型バイクの転落事故で死んだり、戦死したりで次々に喪われたそうで、末子の父が予定外の社長に就任しました。そのために、わたしたち家族は、繊維会社の本社がある兵庫県加西市に移り住み、わたしはそこから姫路市の淳心学院中・高等学校に通いました。
 繊維会社は、播州織という生地の産地である兵庫県西脇市の「産元」で、事実上の2本社体制だったようです。

 こういうわけで、わたしは神戸市、加西市、姫路市、そして西脇市と、兵庫県の多くの土地にルーツがあります。
 わたしは父と同じく末っ子です。母に、幼い時から「お兄ちゃんは家を継ぐ。お姉ちゃんは家からお嫁に行く。末っ子のおまえだけは、ひとりで生きていきなさい」と言われ続けて、おかげで、気が強く育ちました。自立心もその厳しい言葉のおかげだと思います。
 また、家を離れる決心が早くからついていたので、18歳で高校を卒業すると迷わず箱根を越えて、東京の大学へ進学しました。
 東京で慶應義塾大学と早稲田大学のふたつの大学を経て、共同通信社の東京本社へ入社しましたから、思春期のあとは、共同通信の地方支社局や海外の勤務を別にすると、ずっと東京がベースになっているわけです。
 それでも、ルーツは変わることがありません。

▼特に、兵庫県政は今や全国広くで知られてしまった県政の混乱のさなかにあります。
 現職だった斎藤知事の失職に伴う知事選が、その斎藤氏の立候補を含めて来月に挙行されます。自由民主党は今のところ推薦候補を立てていません。
 水面下では解散総選挙と同時進行しているこの知事選は、ふるさとと近畿全体の今後を左右すると思います。
 兵庫県は人口がいくぶん減りつつありますが、それでも534万人あり、関西広域連合で2000万人を超えていて、影響は日本全体の命運に及びます。

 自由民主党は、世論調査などを行って県民の意識を確かめてほしいとも考えますが、わたしに発言権はありません。わたしは参議院の全国比例の議員であることに徹しています。
 一方で、兵庫県選出の国会議員から水面下の実状を聴くにつれ、心配が深まっています。





 
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