2025-01-10 03:01:12
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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【すこしだけ推敲しました】 親指の秘かな勝利
★すべての写真は、きちんと許可を得て撮影し、公開しています。
▼昨日1月9日木曜の午後に、帰国しました。
締めくくりはおよそ14時間半の長い空の旅でした。過去の数え切れないロングフライトの中で、いちばんよく眠った方だと思います。
機内では、会員制レポートの東京コンフィデンシャル・レポート ( TCR ) の新年第2号を執筆していました。通算では第1457号、実に初号からは24年9か月のたゆまぬ歩みです。
途中まで書いて、このレポートが日本経済の行方をめぐるレポートであることから、帰国後に日本のエコノミストと議論してから完成させると決めました。
そのために、すこし眠れたわけです。
ぼくの機内での苛酷な仕事を知っているANAのCAさんたちが、喜んでくれました。
▼写真は、アメリカ南部ジョージア州にある巨大なヴォーグル原子力発電所です。
何を見上げているのでしょう。
▼欧米の原発に良くある巨大な冷却塔です。
上から噴き出ているのは、ただの水蒸気です。土台にほとばしっているのも、ただの水です。
近くの川から水を取り込んで、水が原発を冷やし、熱くなった水を、空気で冷やして、一部が水蒸気になります。
水と放射居物質を混ぜたりして冷やしているのではまったく無くて、熱交換 ( たとえば熱い湯のコップを、冷水の洗面器に入れると、コップの湯が冷えますね。それが熱交換 ) で冷やしているだけですから、もちろん放射性物質の放出も漏洩もありませぬ。
このアメリカのヴォーグル原発でも、カナダのダーリントン原発と同じように、アメリカ側とー
( 1 ) 福島原子力災害の重大な教訓を元に安全性を向上させた新型炉を、どう評価し活用するか
( 2 ) ウクライナ戦争でザボリッジャ原発がロシア軍に攻撃された現状を踏まえ、国際テロリズムに加え、ロシアや北朝鮮による軍事攻撃に対しても原子力発電所の安全を確保するという新しい課題にどのように取り組むか
( 3 ) いわゆる「再生可能エネルギー」のむしろ自然環境を破壊するネガティヴな面にも公正、的確に眼を向け、エネルギーの新しいベストミックスをいかに図るか
ーなどを、英語で直に、深く議論しました。
たがいの国家安全保障に直結する部分、防護策の具体的部分は、一切公開できません。
その議論のあと、議論を共にした担当者と一緒にヴォーグル原発の広大な敷地をすべて、克明に回りました。
担当者らがわたしを信頼してくれて、川の様子から、防護施設まですべてを見せ、秘を条件に、解説してくれました。
担当者が、この冷却塔から噴き出る水蒸気について「アメリカの上院議員がこれを、nuclear smoke と言っているんですよ」と大苦笑していました。
核の煙、いえいえ、ただの川の水の水蒸気です。上述の通りですね。
つまり、この担当者も「日本から上院議員 ( 参議院議員 ) が来る」と聴いて、こういう無知に基づく誤解を平気で垂れ流すアメリカの政治家と同じじゃないかと事前には、懸念していたわけです。
それは実は、カナダのダーリントン原発でも同じでした。
だから事前に調整をする日本の外務省は、こうした思い込みに苦労をするのです。
しかし、カナダでもアメリカでも、これまでの諸国でも、実際にわたしと会うと最初の数分で、専門的な深い議論を英語でやれる専門家だと分かり、また世界の誰よりも現場体験を踏んでいて、福島原子力災害も事故進行中の現場を身を呈して、つまり被爆しながら調べた唯一の専門家であることを理解して、カナダでもアメリカでも世界各地でも、相手の態度が、ほんとうに、一変します。
そのあとは、厳しいけれど内容の充実した、たがいにとって納得できる議論がいつも展開します。
わたしは事前調整に励んでくれたすべての関係者に、そして目の前の諸国の専門家たちに、深く感謝しつつ、日本の主権者のみなさんの代理として、日本とアジア、世界のエネルギー安全保障に役立つ議論となるよう力を尽くします。
▼その翌日の早朝に、アメリカの国内便でアトランタから首都ワシントンDCに飛びました。
大雪被害でさまざまな困難がありましたが、そうしたことにも充分に慣れています。
ワシントンDCに着く20分ほど前から、古い機体がずっと烈しく揺れ続けました。空は青空ですが、大雪をもたらした寒波の強風がまだ吹いているのです。
機体は、アメリカの国内便に良くある、ほんとうの使い古しです。まるで空中分解するかのように奇妙な音を立てています。機内の乗客には、やはり不安の空気が漂っています。
わたしはふと、武士道といふは死ぬことと見つけたり、という言葉をあらためて思い出し、そして同時に、まるで壊死するかのように第一関節から先が真っ黒に、そして激烈に痛む、右手の親指の痛みが急速に和らいでいくのを感じました。
分かりませんが、わたしの免疫力が、何かの侵入 ( 菌 ? ) を乗り越えていくその瞬間を、感じました。
▼雪のワシントンに入ると、旗という旗が半旗です。
カーター元合州国大統領の国葬に備えています。
もうご遺骸は、わたしが弔問をいたしたジョージア州から、ワシントンDCに空軍機で運ばれたと聴きました。
▼まず、間近に迫ったトランプ再来政権について、日米関係をめぐる高官 ( どこの誰かは一切、公開できません ) と短くも、重要な議論をしました。
そのあとは、DOE ( アメリカ合州国エネルギー省 ) の高官4人と議論しました。
DOEも含めて、大雪のために政府機関の建物は全閉鎖となっていたので、至近距離の政府施設で、オンラインによる充実した議論をおこないました。
電話やオンラインの議論では、余計に英語のダイレクトな会話が大切です。
▼夜、東大のわたしのゼミの教え子で、いまは日本の官庁のキャリア行政官 ( 官僚 ) として働くホープの日本女子、それから研究者ひとりの3人で、愉しく議論しました。
東大の教え子の大半は、行政官となっています。
彼女は、その官庁から公費派遣でアメリカの大学で学んでいます。明るく、誠実に、国家の哲学をも究めようとする素晴らしい人材です。
彼女から、最後に「日本はこれから何を目指すべきでしょうか」という、このひとらしい真摯な問いかけがありました。
弥生の時代にまで遡って、まるで授業中みたいに熱心に、講義しちゃいました。わはは。
▼翌朝のとても早い時間にホテルを出て、日本への帰路に就きました。
途中で、ぎりぎりのスキマ時間に、「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の海外スマホシリーズの収録、その6本目を行いました。
これでファイナルです。
自画自賛はいけませんが、正直、このムリムリの日程で、よく6本を撮れたなぁとは思います。
日本で編集を終わったものから公開されています。
▽3本目はこれです。「NHKが敗北」。
長崎市の沖合にある軍艦島の島民のみなさんと、加藤康子さん ( 産業遺産情報センター長 ) に代表される支援者と、そしてNHKを動かそうと努力した護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) の勝利を語り、NHKの信じられない悪あがきも公平に語っています。
この勝利も、「ガス抜き」ですか ?
島民のみなさんの戦いが第一です。永遠に第一です。同時に、主権者である島民のみなさんがどれほど意を尽くしても、NHKはびくとも変わりませんでした。その絶望的な情況が続いていました。
護る会が国会内で、NHKの非公共性を追及する政治集会を開き、水面下でも動き、NHKはようやく、じりじりとではありますが態度が変わり始めました。
そしてついに、島民のみなさんの主張を認めて、調停に応じたのです。
護る会が自由民主党の多くの議員を集めた新しい議員集団であることは、この過程で、現実に大きな意味を持ちました。
▼長いフライトのあと、祖国の太陽が迎えてくれました。
いよいよ帰国です。
▼親指の痛みは、日本を出発する前から始まりました。
途中、外務省のシカゴ総領事館の領事のひとが、親切に、消毒薬を買ってきてくれました。
その消炎効果も確かにあっただろうと思います。
そして、カナダ国内で、その消毒薬に感謝しつつ、使用を停止しました。
この先は、長い戦いの人生でずっと、ぼくを支えてくれた内部の免疫力に任せるべきと考えたからです。
それは経験からです。イラク戦争や旧ユーゴ戦争、パレスティナ紛争、いずれの本物の戦場でも、最後は内部の免疫力が支えました。
薬に頼っていると、逆に回復が遅れる時が、わたしの場合はあります。
医師に診せる必要は当然、考えました。
しかし日本のみなさん、海外での診療はそんなに簡単ではないのです。
先進国、G7の一員であるカナダで現在、「救急車になんとか乗せてもらって病院に着いても、そこから診療開始まで平均で8時間ほど掛かります」 ( 現地の当局者 ) という情況です。
アメリカでも、同じケース、つまり救急患者で診察まで数時間かかります。
このエントリーで記したように、わたしの海外出張の日程はすべて、関係者の努力で精密細工のように構築された、スキマのないものです。
いつ始まるかも分からない診療のために割く時間は、ありませぬ。
それでも、わたしに「日程を変えろ」と、この書き込み自由の個人ブログに書き込まれ、ご自分の思う行動を取るように、ご自分の思う要人と調整も何も不要かのようにすぐ会えと、仰る、要求なさる主権者もいらっしゃいます。
それがおひとりだけ、ということでもありませぬ。
主権者のみなさん、「自由民主党を内部から変えるなどできるのか」、「できるはずない」、「できるはずないからすぐ新党を作れ」という書き込みがどんどん増えています。
よおく、分かります。
石破政権の実態からすれば、当然の疑問、憤激、提案です。
ただね、みなさん。
わたしが「内部から変わるべき」と考えているのは、自由民主党だけでしょうか。
前述の主権者のかたも、わたしの行動を理解されているかたも、代理人であるわたしにとって、同じ主権者です。
何よりもたいせつな同胞です。
わたしの発信もほんとうはフォローされずにご自分の考え、思いだけをぶつけてこられるかたがたに、苦しみ抜く日々です。時間を取られ、そして、わたしの志が冷えてしまう危機と、わたし自身が闘うことに、こころのエネルギーを費やします。
これが何も変わらなくて良いかどうかです。
わたしにとって、変わるべきと考えることがふたつあり、しかし、そのふたつには根本的な違いがあるのです。
どういう違いか。
自由民主党は、わたしが直に手を下し、武器なき闘争で変えていく試みです。
主権者のみなさんに対しては、そのような僭越なことは絶対にいたしませぬ。主権者だけが、われらの祖国の主人公だからです。私心をみずからお捨てになった陛下と共に、祖国の旗を掲げるのは、国会議員ではなく、主権者です。国会議員は主権者のみなさんの代理です。もしも主権者が変わるのなら、それはみなさんの中からの自発的な動きです。
ここがわたしという議員の、もっとも根本的な考え方、個性のひとつだと考えています。
しかし同時に、三浦麻未・公設政策秘書や学生インターンの増野優斗くんのように、わたしの後継者と考えている優れた人材に、ほんとうに国会議員を薦めつづけて良いものか、何度も何度も暮夜、考えています。
わたしの戦友である三浦秘書が「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の収録中に、「議員には人権がない」と喝破した通りです。
こんな苦しみはわたしだけでいいのではないかと、思わざるを得ません。
その「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の海外スマホシリーズの収録は、こうして書いているあいだに4本目がアップされました。
これです。
これも、軍艦島の問題と同じく、護る会が告発して国会内で集会を開いた問題です。
それは、中国の海外警察です。
新たな重大事態が起きています。
この海外警察に対しては、護る会の動きも奏功して日本の捜査機関が捜査しています。ただ、53か国という国々が対応に苦慮しています。中国が各国の法のスキを突いてくるからです。
わたしたちは負けません。取り組みをやめません。
▼わが親指は、あの機内での瞬間から実際に、どんどん痛みが薄れ、真っ黒だった第一関節の先に、すこしづつ健全な皮膚の色が戻ってきました。
帰国してすぐ、どっと国内政治への取り組みを再開しています。要人の何人かと電話会談もおこないました。
同時進行で、荷物をばらし、国際から国内への荷物の切り替えをやっています。親指が使えるようになったのは、実に助かります。
なぜ、帰ってすぐ、また荷造り ?
明日の朝も早くに、せっかく帰った自宅を出て、福井へ向かうからです。
民間専門家の時代に提唱して結成に至った「日本海連合」のフォーラムです。
そして福井から、夜に関西へ入ります。
自由民主党を中から変える一環として就任した大阪府連会長、その新年の仕事がどっと、入っています。
今度は関西に長めに滞在して、自宅には帰れない生活が続きます。
要請を受けての就任ですが、決めたのはわたし自身ですから、力を尽くし切ります。
変革を実行するには、まず、変革を恐れ、嫌い、妨害する人々をこそ包み込んでいくことが不可欠です。
そのことを分かってくださる日本の主権者が少数派であるのも事実です。
万事において、即刻の結果、かつ万全にして完璧な結果と、その人のご希望に百パーセント合うことを求められ、さらに、そのご希望が千差万別です。
だから、二十歳の増野優斗くんの純な表情を見ていると、彼にも、まさかこの苦悩を背負わせるのかと、前述の通り、考えてしまいます。
しかし優斗くんは、まったくめげない、凄みのある人材です。
その彼とわたしの連帯のひとつがショート動画です。ここに並んでいます。
彼の出す質問は、考えに考えられた、良く練られたものです。
しかし実は、多くはわたしに、はねられます。突き返されます。厳しい言葉で再考を求められます。それが彼を育てることの一環です。
彼はわたしにやられてもやられても、再起してきます。
だから、苦悩も背負えるかなぁ、いや、こんなことは俺だけでいいよ・・・と、わたしは彼の顔を見ながら考えているのであります。
▼あ~、正直、このブログを書く時間を原稿に使いたいです。
しかし、無償、無条件の発信のひとつであるブログを継続してほしいという声も、主権者のみなさんから強いです。
ブログを書き続けながらも、『反回想 わたしの接したもうひとりの安倍総理』の執筆という困難な課題も完遂しました。
4刷の以降は、増刷がまったくありません。紀伊國屋ネット書店の在庫は、みるみる減るのですが、なぜか増刷はありません。その程度じゃ、駄目なんでしょう。
僅かなひとしか読んでくれなくても、わたしの死後、小説群と並んで、いつかわたしの知らない世界で再評価されるかもと、思っています。
海外出張中は、みずからに課していた、「新しい大河小説の執筆開始」がどうにもできませんでした。
親指の痛みでパソコンのキーを打つのがたいへんだったことも、わずかには影響しました。
さ、親指さんも、勝ちました。
自由民主党が粉砕されている大阪を含め、国内でのストラグル、泥の中を腰まで浸かって歩むような戦いの再開です。もう午前4時10分になってしまいました。
みなさんの朝は爽やかでありますように。