On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2025-01-18 00:10:58
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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世から消された本があります



▼「この頃、サイン会をやってくれませんね~」と先日、読者のかたから声を掛けられました。
 確かに。

 忙しくなればなるほど、元気が出るのが、ありのままのわたしです。
 どんなに忙しくてもサイン会、やりたいです。
 あまりの超絶日程を見てびびってらっしゃるのか、版元からさっぱり声が掛かりませぬ。わはは。

▼こうやってスキマ時間すら無くなると、逆に、2分読書というのを最近、やってるのです。3分では無く、2分です。
 それも今は、2冊の同時進行です。

 1冊は、日本の戦争期、もう1冊は幕末期を描いた本なので、時代が脳味噌のなかで絶妙に交錯します。
 なおかつ、日本と昼夜がまるで逆の北米時間の感覚も、心身は平気であっても躰のどこかにあるので、これも交錯します。

 総じて、なかなかファンタジックな2分間です。
 ただし、本のページはじりじりと、まさしく匍匐前進のようにしか進みません。読むのは速いほうですが、細切れというか、たまに用意できる2分に交互に2冊を読んでいると、そうなります。
 それでも読書はやっぱり愉しい。他の書き手の労作を読むのは、心地よい敬意が湧いてきて、楽しいのです。

 上に記した2冊のうち、戦争期を描いたノンフィクションは、『林芙美子が見た大東亜戦争 ―放浪記の作家は、なぜ南京大虐殺を書かなかったのか』という単行本です。
 意義の深い本だと考えます。

▼林芙美子さんは、その赤裸々に真っ直ぐに見る眼を、わたしは好きです。読書家だった亡き母が複雑な関心を持っていた作家ということもあります。子供の頃に、なぜ複雑な関心があるのかを、母から何度か聴かされました。

 林芙美子さんは身を呈して戦地を歩き、南京にも滞在するのですが、リアリズムに徹している彼女が「南京の大虐殺」なるものを一切書かなかったのは、それが無かったからであることを、新聞記者出身の著者、宮田俊行さん (知り合いでも何でもありませぬ)が公平に検証しています。

 優れた本です。
 著名な歴史学者の方々の通説を、第一次資料で覆す本です。
 しかし、世からほぼ消されていると言わざるを得ません。
 なぜか。
 敗戦後日本の主流にとって不都合なことばかりを記しているからでしょうね。

『反回想 わたしの接したもうひとりの安倍総理』も、ほぼ同じ運命のようです。
 けれども、いつか誰かに読まれるかもしれない。
 ちょうど上記の本を、不肖わたしが偶然に見つけて、じりじりと、とにかく読み進めているように。

▼ちなみに、この社会と政治の情況で、あえて自由民主党の70年史で初の『反しがらみ党員』となってわたしと連携しようとする主権者は、本物の中の本物として、日本のまつりごとを変えようとしている人だと、わたしは感じています、考えています。
 なぜ自由民主党を変えるのか。
 自由民主党、あるいはジミントウほど、敗戦後日本の巨大な既得権益をいまだ支配している政党は無いからです。それを変えないと、実は、何があっても何も変わっていません。
 凍りつく寒風のさなかの連帯はここにあります。





 
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