On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2025-04-15 02:15:52
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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不肖わたしの努力のほとんどは無駄に終わります  それを承知の毎日です  一切合切、わたしの責任です



▼4月11日金曜は、早めの朝から、国会と党本部での矢継ぎ早の重い公務のあと、長駆、大阪府・島本町に入り、町議選と町長選で力を尽くして応援遊説をしました。

 ふたつの選挙のうち町議会議員選は、日曜の投開票の結果、前回は最下位だった候補が一転、圧倒的な上位当選、もうひとりの候補も無事に当選しました。
 しかし何も評価しない人も身近に居ます。
 評価されるためにやっているのじゃ無いので、何も問題ありませぬ。

 一方、町長選の候補は、完全無所属ということで、いくぶん難しかったです。結果は、ご本人に事前にお話しした通り、厳しいものでした。
 しかし完全無所属になさった理由は良く分かります。
 また、よくぞ日本女子として奮戦されたとも思います。

▼金曜は夜も、ある意味で重い懇談がありました。
 朝のうちに、四半世紀の歴史を刻んでいる会員制レポートの東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)について第1470号の配信を終えていたので、その点は、精神的にすこし救われていました。

 明けて4月12日の土曜は、大阪関西万博の開会式に臨みました。開会式の前と後に、非常に長い時間とある種の忍耐が必要でした。それはやむを得ない、当然のことです。
 開会式は、陛下の生き生きとしたお言葉と、高校生をはじめ若い人たちの鍛錬を積み重ねた成果が素晴らしかったです。
 リング内のさまざまなパビリオンは一切、中を見ることが許されず、遠目に外観が見えただけでした。( 唯一、中を見ることができた日本館は、リングの外です )
 リングから下へ降りるエスカレーターも厳重に封鎖されていました。

 ホテルに戻ってから、月刊Hanadaの新連載コラムの原稿に取り組みました。すでに予約が始まっている新刊『憤怒と祈りで建国だ』 はまったく1行も書く時間がありませんでした。

▼夜が明けて、4月13日の日曜となりました。
 おのれを励ましてコラムの原稿を隅々まで仕上げ切り、送稿しておいたので、すこしホッとしました。
 しかしすぐに大阪府連へ出なければなりません。

 朝のうちに大阪府連に入ると、まずは執行部会です。
 中心テーマは、公認候補の擁立が大きく遅れている参院選大阪府選挙区の問題です。
 執行部会を終えると、役員連絡会です。冒頭の写真はそれです。
 同じ中心テーマです。
 理不尽なことを乗り越えようと、信頼できるみなさんと共に努力を重ねてきましたが、おそらく実りません。



▼そのあと記者会見を行いました。
 記者会見できる情況では無いのですが、わたしが「新しい府連会長として会見はきちんと定例で開く」と決めた以上は、どんなときでも避けてはいけません。
 この日曜は、万博の開幕日でしたから、会見に来ることができた記者はわずかでした。各社とも万博取材で手一杯だということは、記者出身ですから容易に想像ができます。
 記者会見はすべてオープンに記録しているので、大阪府連のHPで見ることができるようになると思います。

 そのあとさらに、府連の組織委員会で、みなさんに敬意と感謝を込めて、下手ながら、冒頭のあいさつをしました。それが上の写真です。



▼そして府連から、関西テレビへ向かいました。
 かつて関テレの「スーパーニュース・アンカー」の生放送で、僭越なもの言いながら伝説の放送となっている「青山のニュースDEズバリ」に参加していた道を、そのまま辿って局へ向かいます。
 限りなく懐かしかったです。

 この日は、関テレの地上波の番組ではなく、関テレのユーチューブ番組のために、硫黄島をめぐるトーク番組の収録をおこないました。
 英霊を故郷に取り戻すためにも、ありのままに語り尽くしました。
 アップがいつなのか、無事にアップされるのかは、わたしには分かりません。
 
▼そのあと大阪市内で、参院大阪府選挙区の問題を解決するための協議を行いました。
 協議そのものは、相手方との信頼関係によって良き結果となりました。
 ところが、のちに、これが違う方面からの事前の裏工作のために、実は最初から失敗していたことが分かりました。 

 卑怯であるとは言えても、そもそも、まつりごと ( 政 ) に裏工作など憑きものです。当たり前です。
 それに襲われるわたしが悪いのです。

▼疲労困憊で、日曜深夜に帰京しました。
 明けて4月14日月曜、耐えに耐えている身体の反乱が起きました。
 正直、這うように議員会館の青山繁晴事務所へ入り、「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の収録に臨みました。
 いつでもどこでも無償、無条件の発信をやめませんと、いつも申している通りです。
 5本を収録しました。
 その最初の1本は、ゆうべアップされています。ここで、中国の現実の脅威に対峙するために日米軍事演習が新段階を迎えていることを具体的に語っています。

 そのあと、居ずまいを正して、宮中へ向かいました。
 国会の常任委員長 ( 参議院環境委員長 ) として、天皇陛下との茶会に臨みました。
 6年ぶり、令和で初の開催ということでした。
 陛下から「国、社会、人々のために力を尽くしていかれるよう」というお言葉を、衆参両院議長や他の常任委員長と共にいただき、心身をあらためて引き締めました。

 皇居から議員会館の青山繁晴事務所へ戻り、夏の参院選の全国比例に挑んでいる長尾敬・護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 )  元副代表を、力を尽くして、励ましました。

 そして急ぎ、国会議事堂に移り、党幹部の代理として役員会に出席しました。
 役員会は、総理総裁も出席する重要会議です。
 この頃、いくつかの悪い知らせも入っていました。
「深く淡く生きる」という自作の銘のままに生きるのみです。

▼議事堂から、ニュージーランド大使館へ行き、駐日大使ご夫妻や超党派の国会議員と意義ある議論をしました。
 夜に帰宅すると、沖縄の良心派から「東京の参院選候補に、なぜ左翼の人物を擁立するのか。私たちは動揺している」という電話がありました。
 わたしは「この石破政権では、確かに、明らかに左派寄りの動きがあります。しかし夏の参院選で主権者による断が下ります。祖国の沖縄においては、画期的なこととして擁立が実現した、国士である奥間亮候補が、まさしく左翼の候補に打ち克つことができるよう連帯することがまず第一です」とお答えしました。
 自由民主党の現状は惨憺たるものです。東京でも大阪でもそうです。だからこそ、こゝろを平静に戦うのです。

▼月曜の夜もあっという間に更け、もう午前3時半近いです。
 きょう4月15日火曜の朝も、非常に早く、自由民主党本部の外交部会で、来日中のアメリカ議員団と議論せねばなりません。
 そのあと、長時間の環境委員会です。
 委員長の職務は、想像を超えて厳しいものがあります。
 きょうも心身に鞭を入れて、入れて、入れて、すべてに臨まねばなりません。

 こうした、わたしなりの努力の日々は、おそらくほぼすべて無駄に終わるでしょう。
 この個人ブログには、ますます要求が溢れています。
 ここは本来は自由なはずの個人ブログですが、エントリーの時刻表示とか、相変わらず、非常に細かいことまで、感情やご不満に基づく要求に溢れています。コメントのついに99%以上が要求と言わざるを得ない現在です。

 しかし・・・それだけたくさんコメントを寄せていただくのは、ありがたいことです。

 わたしが死す時までは、ありがたく受け止め続けます。





 
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