2025-06-02 03:38:45
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
Comments (0)
みなみなさま、こゝろから申し訳ない

▼きのう6月1日の日曜、大阪市内で、自由民主党大阪府連の国会議員、地方議員や職域支部長 ( 職業別の代表 ) らのみなさんと苦難を共にするなが~い半日を務めたあと、東大阪市へ向かいました。 ( その半日のことは、いずれ主権者のみなさんにお話しします )
同行している公設秘書は、その半日の精神的ダメージで疲れたようすで、内心で同情しました。
不肖わたしは、特に疲れません。
戦場を3つ、それをはじめ、世界のあちこちの惨たる現場を歩くうち、すくなくとも精神はほぼ疲れ知らずになってしまいました。
別にそうなりたくは無かったのですが。
そして自由民主党の東大阪支部の勉強会で、魂を絞りに絞って、講演しました。
みなさんの眼が、次第に輝くのが、こゝろの底から嬉しかったのです。
▼そのみなさんのなかに、5月31日に発刊されたばかりの『憤怒と祈りで建国だ』を掲げてくださるかたが、何人もいらして、ちょっとびっくり。
光栄至極です。

▼東大阪市 ( 衆院大阪13区 ) が地元の宗清皇一・元府連会長 ( 前代議士 ) 、由井聖太大阪府議、そして東大阪市の右近徳博市議、木村芳浩市議らが迎えてくれたときにも、『憤怒と祈りで建国だ』を掲げてくれる主権者がいらっしゃいました。
胸のうちで励まされました。みんな、ありがとう !
ちなみに、塩爺の名で知られた塩川正十郎・財務大臣はこの東大阪が地元でした。
宗清さんは、塩川財務大臣の秘書官でした。
塩川さんは、政界を引退なさってから皇居近くのホテルに独居されていて、不肖わたしは民間専門家の時代に時々、そこに招かれて世界と日本について議論していました。
関西テレビの番組でご一緒してから、塩川さんがわたしの考え方に興味を持たれたとのことでした。
懐かしい塩川さん、宗清秘書官、塩川さんや宗清さんの地元である東大阪市の市民のみなさん、そしてその東大阪には、近畿大学の本部キャンパスがあり、わたしは経済学部の学生諸君に客員教授として国際関係論を11年のあいだ講じていました。
同じく教鞭を執る東大は、国会のある東京ですから、今も週に1回、ゼミナールを開講していますが、大阪の近畿大学へ国会議員が平日に出向くのは無理なので、今は年に2回、公開講座をひらいています。
この公開講座は、無償でどなたでも参加できます。
次回は、6月28日土曜の13時15分から14時45分に、近畿大学東大阪キャンパスの実学ホールでひらかれる予定です。
どなたでも、キャンパスで生のわたしと時間を共にされることもできますし、オンラインで参加されることもできます。
どなたでも、キャンパスで生のわたしと時間を共にされることもできますし、オンラインで参加されることもできます。


▼みなさんと一緒に、大阪という地を考え直すこと、それを中心に語りました。
なぜか。
大阪は、商都としてばかり語られます。商いはとても大切です。しかし真の大阪は、それだけではないと考えています。
仁徳天皇の『民の竈』の地として日本型民主主義の生まれ故郷の大阪、東京がやがて首都直下型地震に襲われたときに日本の首都を立派に担わねばならない大阪、それが地元でも全国でもさほど意識されていません。
★さて、なぜこのエントリーのタイトルがお詫びなのか。
それは、発刊されたばかりの『憤怒と祈りで建国だ』、東大阪でいち早く多くのかたが掲げてくださったこの新刊に、誤植があるからです。
第104ページの終わりから2行目にある「西暦2024年」は、「西暦2014年」の間違いです。
深くお詫びして、訂正します。
編集者に連絡して、誤植のあることを読者のみなさんに知らせていただくようお願いし、これから読者に届く分については訂正の紙を挟んでいただけないかとお願いしました。
回答は、「扶桑社のホームページに訂正を載せることはできますが、訂正の紙を挟むことは ( おそらくコストなどの理由で ) できません」とのことでした。
また「重版で直します」とも仰いました。
やむを得ません。
かつては、新刊の誤植について「届けてくだされば、ぼくが手書きで直します」と広くお伝えしたこともありました。
想像以上にたくさんの読者から届き、睡眠も仕事も削りに削って、すべて手書きで直しました。
当時は、民間専門家でしたから、おのれの判断で仕事を削ることはどうにかできました。自分が努力すれば、あとで回復できますから。
しかし現在は国会議員です。日程のうちの多くが与野党協議で決定する公務を、削ったり変更したりすることはできません。
睡眠は、これ以上削ると、完全にゼロになり、いくら何でも死に直結します。
したがって、万やむを得ず、わたしのこの個人ブログと、扶桑社のホームページでお知らせするのと、重版で修正するほかありません。
とても、とても辛いです。
この新刊も、まるで奇蹟のように実現した本であってもそんなことはまったく関係なく、「政治家の本なんて読まない。ましてやジミントウの議員の本なんて」という見方に、必ず直面します。
わたしが「国会議員にはなりましたが、献金もパーティも企業団体の支援もなく派閥もなく後援会もなく、旧来の政治家にはなっていません」と申しあげても、ごく少数派のみなさんにしか届きません。
そのために、初版だけで終わる恐れは充分にあります。
みなさん、あらためて、申し訳ありません。
この月曜に朝が来れば、英霊のご遺骨を鑑定する政府の施設へ向かいます。
事前に厚生労働省の行政官(官僚)から、今後の取り組み、英霊を故郷に取り戻すことについて圧力とも言うべき動きがあり、真正面から反論しました。
世には理不尽なことしかありませぬ。
みなさんの人生と同じです。
ともに耐えて、勝つのです。
それを伝えるための新刊です。