2025-08-13 11:57:51
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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UAE ( アラブ首長国連邦 ) からチューリヒを経てウィーンへ いきなり環境は激変しますが、おのれに自ら課した任務は不変です
▼ブログの時間は日本時間です。
実際にこのエントリーを書き始めたのは、現地時間で午前4時57分です。
ウィーンは日本より7時間遅いです。
時差も気候もどんどん変わって、もう滅茶苦茶です。
しかし、ほぼなにも感じません。いつものことです。
長年、人間ドックでわたしの身体とつきあっている有名病院のお医者さまによると「なにも感じていないのでは無く、青山さんの身体はその内側で猛速で調整しているのです」・・・だそうです。
▼世界のエネルギー・インフラストラクチャに対するテロ攻撃、そして軍事攻撃への対応をめぐるUAE ( アラブ首長国連邦 ) での議論の2日目は、砂漠のなかにある Emirates Nuclear Energy Cooperation ( ENEC / 首長国原子力エネルギー公社 ) の本社を訪ね、CEO ( 最高経営責任者 ) である H.E. Mohamed Ibrahim Al Hammadi ( ムハンマド・イブラヒム・アル・ハマディ閣下 ) らENECの首脳陣との議論です。
やはり通訳は入れず、英語で直に行いました。
ハマディ閣下は、アメリカのフロリダ工科大学で学んでおられるので、英語 ( 米語 ) での深い会談がスムーズです。
▼アラブ側の左端、わたしと向かい合っているのが、ハマディ閣下です。
日本側は、左からヘイワース美奈・独立総合研究所研究員、中川公使、経産省から出向の新谷二等書記官、岡庭特命全権大使、そして不肖わたしです。
臨時のベストチームです。
ENECは政府系ですが、政府機関そのものではないので、初日のクリスター・ヴィクトルッソンUAE連邦原子力規制局 ( FANR ) 長官らとの議論と違って、こうやってアラブ風に低く着座して向かい合う形式で行われました。
わたしは中東を訪ねるとき、こういう形式は、映画『アラビアのロレンス』に出てくる場面と似ていて、好きです。
ちなみに、会談のなかで「わたしは子供の頃、家族でアラビアのロレンスを視て以来、アラビアに強い関心を持ちました。ロレンスの書いた本『智恵の七柱』などを読み、アラビアが大好きになったのです。わたしは社交辞令は言いません」と言うと、ハマディ閣下をはじめみなさんが喜ばれ、たいへんに打ち解けました。
▼議論の中身は、非常に重大なものでしたが、ハマディ閣下は驚くほど率直に、ずっとわたしの眼を見て意義ある議論を展開してくださいました。
終了したときの握手も、ほんとうにこゝろが通いました。
閣下はわざわざ、砂漠に面した正面玄関まで見送りに降りてくださり、再会を固く約しました。
▼UAEの首都アブダビのすこし郊外は、こんな感じです。
同じ砂漠でも、たとえばサウジアラビアの砂漠とはまったく違います。
実はアラブ世界で英語を使って砂漠と言うとき、2種類あります。 DUNE と DESERT です。日本語で言うと、「砂丘」と「砂漠」という風に辞書にも載っていると思いますが、いえ、現地でのニュアンスは違います。
前者が、アブダビのように、砂漠とすこしの植物、家などが共存している感じ、後者が、サウジアラビアのたとえば首都リヤドの郊外のように、まったくの砂、砂、砂です。
あくまで現地で、アラブ人と話しているときの感覚ですから、学術的な解釈とは違うかも知れません。
▼そして慌ただしく、アブダビを発って、中継地のチューリヒへ。
窓の外には、雪のないアルプスが見えます。
今年1月にも、やはり自主出張で、雪のアルプスを越えたので、まだまだ成長過程のアルペンスキーヤーとしては雪の山々が恋しいです。
▼7時間に迫る、決して短くはないフライトでチューリヒに着陸するとき、翼の影の向こうはこんなに緑いっぱいです。
一気に環境が変わります。
しかしこのチューリヒ、単なるトランジット ( 乗り継ぎ ) なのに、いつも難行苦行です。
今回もまた、たいへんに時間を要しました。
スイス側が次々に誤解し、それを解くのに、現地の日本外交官が一緒に努力してくださっても四苦八苦です。
わたしの英国軍の知己は「第二次世界大戦のときも、スイスがわれわれの味方だったことは無い。イタリアのファシスト政権を叩くために、英国空軍が歴史的な勇気をふるってアルプス越えをしようとしたとき、わたしたちの先輩は撃墜されたんだよ」と、何度も言いました。
これを鵜呑みにしたりしません。
それでもまぁ、今回もたいへんでした。
トランジットのために日本国の国会議員が公用パスポートで入国するのに、なにか怪しい目的が無いかとスイス政府の係官が疑ったり、航空会社の係員は「こんなに強行軍の日程があるはずが無い」と言い張って、荷物を勝手に次の訪問地のヘルシンキに送ってしまおうとしたり、散々です。
ただ、わたしはスイスが歴史的にこんな感じになる理由は、それなりに理解します。
▼スイスという難関を通過するのに時間を要して、あやうく飛行機に乗り遅れそうにもなりましたが、夕焼けとともにオーストリアのウィーンに接近します。
大好きなシューベルトやモーツァルトの街です。
ただし、音楽を聴いたりする時間はまるでありません。
これじゃ、スイスで疑われるわけですね。彼らの常識では、こんな動きをする国会議員が居るはずはないのです。
しかも費用を自主的に負担しているともしも聞けば、もっと深刻に疑うでしょうね。
与野党が「国民のため」と称して、やったところの旧文通費の制度変更で、よけいにわたしは財政的に追い込まれ、配偶者の青山千春・東京海洋大学教官が愕然とし、呆れ、東京で困り果てています。
こんな自主出張などしない、与野党の旧来の議員は、しっかり守られる制度変更であるのも大いなる疑問です。
▼ウィーンの郊外が見えてくるときは、もうすっかり夜更けです。
月と星と飛行機と、街の灯りの競演です。
▼やっとホテルに着いても、仕事は落着しません。
ウィーンでおこなう国際原子力機関 ( IAEA ) との議論に備えると同時に、機中でずっと書いては消し、書いては消し、そしてやっと脱稿した原稿を、月刊Hanadaに送りました。
連載コラムの「文士議員、駆ける」の第8回です。
▼もう朝になってしまいました。
いつでもどこでも無償、無条件の発信をやめません。
「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の最新放送のここで、日本のフリゲート艦の輸出初成功が中国にショックを与えていることを、具体的に語っています。
▼文庫本というのは、単行本よりはやや安価なので、印税も少ないです。
しかしそれでも、この無理な活動のわずかなささえになるかもしれません。
この月末に発刊となる『やさしく夜想の交叉する路』を、たとえばここで、あるいは地元の書店などで予約してくださっているみなさんに、深々と感謝を申しあげます。













