On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2008-01-03 21:44:04

恭賀新年 (正月あけ4日の午後と、それから夜に、何度か加筆しました)





 みなさん、明けましておめでとうございます。

 …何がめでたいのかなぁという声も、ときどき聞きますね。
 その声はよく分かります。
「門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」
 一休さんこと一休宗純師が、室町時代にもう、こうして軽く皮肉っているぐらいですから。

 一方で、この頃ぼくは、こう思うのです。
 一年という短いあいだに、若いひとも老いたひとも、ほんとうは、ずいぶんと亡くなる。
 自分や、自分の身の周りは無事でも、すこし視野を広くすると命は簡単に、驚くほどあっさりと失われている。
 あるひとが、年齢や立場などは関係なく、どうにか一年を生き切って新しい年を迎えたのならば、もしも仮にその新年の最初のうちに世を去るとしても、やはり、めでたいことなのではないか、と。
 ある一年を、丸々フルに生き切る、それは実は奇跡なのだろう、と。


▼昨年は、この地味いっぽうのブログを尋ねていただき、ありがとうございました。
 ここは、ほんらいはぼくの個人的な呟きの場所です。しかし今はもう、胸のうちをいつもそのまま吐露できるとは限りません。
 すこし哀しいことではあります。
 しかしメディアや仕事を通じて、社会や祖国、ときには諸国に向けて発信している以上は、それはやむを得ないことだと考えています。

 発信者には、おのれを自制するという責任があります。


▼上に掲げたのは、ことし知友に向けてお送りした年賀状の文面、そのものです。
 お送りする相手とのおつきあいの有りようによって、年賀状の文面を変える年もあるのですが、ことしは全てのかたがたに同じ文面を送りました。
 だから、このブログを訪れてくださったかたがたにも、謹んで、同じ年賀状をお送りします。

(末尾の、独立総合研究所本社の住所・電話番号・メールアドレスなどはセキュリティのために、実際の年賀状とは違って「…」に変えてあります)


▼それから、きょうは、ぼくが参加しているテレビ番組の視聴者のかたに、残念無念のお知らせがひとつあります。
 新年の「西宮戎神社の福男レース」への参加は断念しました。

 去年の1月に、関西テレビの報道番組「ANCHOR」に生出演しているとき、ちょうどこの福男レースのニュースをやっていて、そこで「来年は、ぼくも出ます」と約束したのに、それを破ることになって、とても申し訳なく思います。

 右足甲の骨折が、まだ完全には治っていないのです。
 ときどき無意識に軽く駆けだしたりは、しているのです。実際は、けっこうなスピードで走っているのかもしれません。
 ところが、ジムへ行きバーベルやダンベルを挙げて、そのときには足に痛みはほとんどないのに、そのあとプールで泳ぐと、あぁ完治はしていないなと分かります。
 ブレスト(平泳ぎ)をして足で水を蹴り出すと、ぴりぴりと電気仕掛けのように、右足甲に痛みが走ります。
 フリー(クロール)で、足のビートを使わずに腕だけで泳いでも、同じです。
 だから福男レースで全力疾走するのは、やはりまだ無理です。
 参加する以上は、全力疾走したいので、きっぱり断念します。

 福男レースへの参加は、そもそも反対するひとばかりだったから、みんなは、ホッとしているようです。
 本人は、はなはだ残念です。
 なにより、約束を果たせないのは、無念です。
 ふひ。


▼さて、年初にいちばんお話ししたいことを、すこし述べたいと思います。

 昨年末は、わたしたちのこのただひとつの祖国が、政治と経済では中国の、安全保障ではアメリカの、エネルギーではロシアの、それぞれ属国にゆくゆくはなりかねない最初の予兆が顕れたと考えています。

 日本国が、二千年の誇りある永い歴史のなかでただ一度、1945年の夏に戦いの敗者となってからは、勝者アメリカに過度に膝を屈しつづけ、依存しすぎた国造りでありました。
 そこから脱しようと、志のあるみんなが努力している、そのさなかに、新たに日本が引き裂かれ、いずれは三つの大国の属国になり果ててゆく。
 それが思い過ごしではなく、リアルな現実として始まりつつあることに気づく2007年末だったのではないでしょうか。

 したがって、ことし2008年、平成20年は、われらの子々孫々に、独立し自律する日本国を残せるかどうかの、ほんものの分かれ目だと思います。

 こころあるひとたちと共に、ぼくも、おのれが非力そのものであっても、その力は尽くし切ります。
 それが、ことしに果たす、約束です。

 みなに福をお贈りする福男、それになるレースに参加する約束は果たせませんでしたが、こちらの約束は、足が折れようが、これから腕を折られようが、眼を塞(ふさ)がれ、耳を奪われようが、果たします。

 テロリスト国家の独裁者に拉致され人生を奪われた同胞(はらから)は、最後のひとりまで取り返す、たったひとりの同胞の人生も見捨てない、それだけが、わたしたちの国民国家、日本の解決だ。
 この主張を黙らせようとする圧力に、屈しない。

 この主張は、ひとりぼくだけの声では、ゆめ、ないでしょう。ふつうに日々を生きる、ふつうの感覚の国民のなかに広く、素朴にあるフェアな声ではないでしょうか。
 その声を今や、小ずるく避け、かしこぶって無視し、専制的に黙殺しつつ、ある政治家や官僚たちと語らって、それぞれの小さな欲と野望を実現しようとしているかにみえる、元は(社交辞令ではなく)立派だったジャーナリスト、学者ら有識者に、あくまでも礼節をもって告げたい。

 この祖国は、あなたがたのものではない。
 救出を待つ、最後のひとりと、そのひとりに最後まで一生懸命に、手を、腕を、こころを、魂を差しのべる、決して少なくはない国民のものだ。

 どうか思い出してください。お願いだから。頼むから。
 小泉訪朝団を乗せた政府専用機が、平壌の空港に降りたって、尾翼の日の丸が、日本でテレビ画面を通じて見守るわたしたちの目にもはっきり赤く、見えたことを。

 若いまじめな留学生だった有本恵子ちゃんを奪われた母、有本嘉代子さんはこのぼくにも、神戸の自宅でお会いしたとき、こう叫ぶようにおっしゃった。

「娘が、あの飛行機を見たとき、日の丸が(尾翼に)付いておりました。あの日の丸を見た時にどんな思いがしただろうと、今、思っております」

 囚われの地で、もしも日の丸を見たなら、これで私だけが救われると思う被害者はいないでしょう。
 あぁ、みんなが救われると、そう思うでしょう。

 情緒だけで言ってるのじゃない。
 リアリズムで言っている。
 ただひとりでも見捨てたら、わたしたちの日本国はもはや国民国家ではなくなる。言葉の綾じゃない。必定の現実として、国民が主人公の国家であることが、永遠に喪われる。
 そんな国を、子々孫々に渡せますか。







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