On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2008-03-10 11:36:20

再起したい夜、生まれ変わりたい夜





▼中東カタールの首都ドーハで、徹夜仕事をしながら、日本のことを考えている。
 独研(独立総合研究所)の社長としても、いま大きな心配事がひとつあって、なかなかきびしい。

 徹夜仕事は、その独研から配信している会員制レポート「東京コンフィデンシャル・レポート」(TCR)の執筆だ。
 ドーハは今、3月10日の月曜、午前3時半。
 ここで開かれている国際会議の参加者は、たいていは寝ているだろうけど、日本は6時間も先に時間が経過していくから、徹夜でレポートを書かないと、配信を待っている会員に届くのがどんどん遅くなるばかりだ。


▼国際会議のほうは、きのうのプレ・オープンで会った中国系の参加者が、いきなりぼくに「東シナ海のガス田問題で、中国と日本はもう裏合意ができている。だから胡錦涛国家主席は(毒ギョウザ問題が未解決でも)、予定通りに4月に訪日するよ」と、ウソかまことか分からない言葉をホンコン・イングリッシュでぶつけてきたり、わりに刺激的な幕開けとなった。

 東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)で「北京オリンピックに、ウイグル独立運動によるテロ情報がある。詳報は後送」とお知らせしていたら、それと関係があるのかどうかはまったく分からないけど、いや、まさか関係ないだろうけど、中国の当局がいきなり「北京五輪へのテロ準備でウイグル独立運動の活動家を逮捕した」と、あまりに異例な公表をしたり、このごろの中国には、けっこう驚かされる。

 何をやるか、しでかすか、分かりまっせーん。


▼ドーハにいながら、強い関心を持っていた「日本のこと」のひとつは、名古屋国際マラソンだった。

 Qちゃんの優勝と、北京オリンピックへの出場を願っていたから、モバイルパソコンをネットにつないでスポーツ新聞の速報をみてリアルタイムで結果を追ったりしていた。
 超スローペースのなか、われらがQちゃんが、わずか10キロにも達しない時点でまさかの脱落という現実には、すこし驚いた。

 そして、「引退しない宣言」にも、ほんのすこしだけ、びっくりした。
 だけども、「実は…」とヒザの手術の打ち明け話があったのには、全くびっくりしなかった。

 Qちゃんは、レース前にすでに「山ほどハプニングがあって」とメディアに語っていたから、もしも失敗したら「実は…」という話があるだろうなと、考えていた。

 いまの彼女については、いろんな見方、もっとありのままに言えば、きつい批判もあるだろう。
 特に「実は…」というエキスキューズに落胆したひとも多いのかもしれない。
 ぼくは、落胆まではしないけど。


▼Qちゃんが怪我で苦しんで失速したのは、2006年11月の東京国際マラソンもそうだった。

 そのレースが近づく日の夜、たまたま赤坂プリンスホテルで会合に出るためにエレベーターに乗ったら、小出監督がいらっしゃった。
 まったくの初対面だったけど、小出監督はちょっと身体をぐらぐらさせながら、いきなり「あ、青山さん、いつも視てるよ」とおっしゃった。
 そして「愉しく呑んでいたんだけどね、これからまた一人で呑み直すんですよ」と言って、最上階のバーへ、たったひとりの後ろ姿で向かっていかれた。

 ぼくは、その小出監督の、さっぱりした感じが即、大好きになったけど、Qちゃんのそのあとのレースに、どことなく不安を感じた。

 その時点で、Qちゃんが小出監督との師弟関係を解消して、1年半ぐらいが過ぎていたのじゃないかと思う。
 ぼくはエレベーターで別れ際、思わず「監督、頑張ってください」と声をかけた。もちろん、Qちゃんのために頑張って欲しかったのだ。もはや小出さんは、Qちゃんに手が届かないのに。

 監督は、えへへと笑って、ほんの一瞬だけ、凄まじい勢いで通り過ぎるつむじ風のようにほんの一瞬だけ、命の奥底まで寂しいような顔をみせて、バーへと去っていった。

 ぼくは内心で思った。
『ぼくら日本国民の大好きな、Qちゃん、あなたが自立のために小出監督のもとを離れたのは素晴らしい。でもね、でもね、いつも自立を語るぼくでさえ、やっぱり小出さんとは一緒に最後までやってほしかった』と思ってしまい、それから、いやいやQちゃんの高い志を尊重しなきゃ、と自分に言い聞かせた。


▼ネットでみた、ある新聞に、こう書いてあった。

~「引退は考えていません」。レース後に(高橋尚子選手は)きっぱりと話した。ただ、「あきらめなければ…」と訴えてきた今回の北京五輪への挑戦。応援し、夢を託した人たちも、それぞれの変わらぬ日常の現実の前に引き戻された。~

 こりゃ、ちょっと、言い過ぎだよなぁ、よい記事、核心を突いている記事だけど、ぼくならやっぱり、こうは書かないなぁ。
 変わらぬ日常の現実に引き戻される、うーん、そんなふうに決めつけたら、日本国はどんどん世界の孤児になっていくかも。
 …などと、ちらり思い、それから、大袈裟なことを言うものではない、おそらくベテラン記者が書いた率直な記事じゃないかと、また自分に言い聞かせた。


▼ひとつ前の書き込みについて、ある視聴者のかたが関西テレビの報道番組「アンカー」の「青山のニュースDEズバリ」のコーナーについて、「100回を区切りにするのではなく、日本国が変わったことを区切りにするべきだ」という趣旨のコメントを書いてくださった。

 正しい!
 確かに、100回なんて、うわべの区切りにすぎない。
 こういう書き込みがあることそのものが、ぼくとしてはひとつの目的だったから、こころに沁みるように嬉しかった。

 同じく視聴者のかたのコメントで「あのコーナーで、ニュースの見方を知った」とあるのには、飛びあがるぐらい嬉しかった。

 さて、これからのぼくは、どっちへ、どれぐらい、走っていくべきなのだろうか。

 少年の頃のぼくは、通知表に「あきっぽい」と毎年、先生に書かれるような少年だった。
 いまは、諦めないタイプにみえるのかもしれない。
 だけど、ほんとうのぼくは「諦めなければ夢は叶う」という言葉を、ひとに述べるのは嫌だ。
 ほんとうのぼくは、文学で育っている。
 文学は、こんなこと、言わないよ。叶わない夢が山積みなのが、生きていることだから。

 Qちゃん、あなたは偽善者じゃなく、本心から「諦めなければ夢は叶う」と言っているから、好きだけど、ぼくはやっぱり『おのれ自身が諦めないのではなくて、なかなか諦めない粘り強い後進のランナーを全身全霊で育てるのが、金メダリストの、新しい夢じゃないかな』と思う。

 小出監督がいつまでも、どこまでも、あなたのことを好きで、こころから支持し、心配してくれているのは、あなたの宝物ですね。
 それを新しい基準にして、今後のことを決めてほしい気がします。

 ぼくも…そうですね、やや疲弊していることや、メディア関係者の自覚なき身勝手にすこし困惑することや、あるいはさまざまに中傷されることを思うより、数はおそらく少なくても、まるで小出監督のようなハートの視聴者、それから、なかなか出ない新刊を辛抱強く待ってくれている熱い読者のことを、ぼくの生きる基準に、あらためて据え直すべきでしょう。


▽写真は、ホテルの自室のベランダからみた、未明のドーハの光景です。
 中東のひとは、なぜか青い灯火が好きで、だから携帯で撮っている手前では、夜がうっすら青く染まっています。
 そして遠くの街の光はオレンジ色です。

 いちどだけ死ぬために、いちどだけ生きよ。充分だろう、それで。
 ことしもドーハのさびしい灯りが、そう告げています。




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