2008-10-28 01:58:05
深い絨毯のような夜をみながら
▼みんなと同じく、ぼくにも、ささやかな信念があって、その一つがたとえば社交辞令やお世辞は言わないことだ。
それから、事態がよくないのに「うまくいってる」などと誤魔化さないことも、ささやかな姿勢として、ふだん貫いている。
そのうえで、申したい。
ぼくのこの小さな個人ブログは今、大丈夫です。
コメント欄をどなたにも開放し続けている以上は、あまりにも根拠なき中傷の書き込みもあるし、卑劣な、こころの疲れる執拗な嫌がらせもある。
さらには、外国の勢力と思われる書き込みまである。
わたしたちのこの祖国は、ある複数の外国から、見えない侵攻をたった今、受けている。
それが戦争なら、軍事侵攻なら、悲惨であっても、眼にみえる。
ところが、いま現実に受けている侵攻は眼にほとんどみえない。
だから、骨の髄までぞっとするほど恐ろしい。
このごろコメント欄をにぎわせている論争は、基本的には、その眼にみえない侵攻をもきちんと意識して、それにどうやって対抗するかを、みんなで議論している。
あるいは、根拠のない中傷や、卑劣な嫌がらせに、どうやってフェアに向かいあうかを、みんなで議論している。
だから、どれほど議論が激しくても長くても、大丈夫です。
▼おおくのひとが、自分の得には何もならないのに、フェアネスを、ただの個人ブログのコメント欄で確立しようと苦闘している。
ぼくは胸の奥で感謝し、その無償の努力に深く敬意を払っている。
たとえば、HAYABUSA2というハンドルネームのひとは、ぼくは講演の聴衆のなかに、きっとこの青年だろうと思う輝く眼をみつけたことがある。
おのれの利益や虚飾のためでなく、祖国と世界をよりよくすることに役立ちたいと、本気で願っている若い魂を、その眼のなかに、ぼくは見つけたと思っている。
祖国よ、あなたは、いい若者を持っている。
書き込みが長くともいい、短くともいい、引用句があってもいい、なくてもいい、ミクシィをはじめ他のコミュニティへの誘いがあってもいい、それを断ってもいい、みんなの目指すものは、この小さな個人ブログの開放されたコメント欄にフェアネスがありますように、という目的で一致しているじゃないか。
ぼくは社交辞令は言わない。こころにないお世辞は言わない。
社交辞令やお世辞は、ひとを思うのでなく、自分を有利にするためにだけ使われることがあるからだ。
他のかたが、社交辞令やお世辞を言うのは、かまわない。それは、そのかたの選択だ。 ただ、ぼくは言わない。
それから、悪い事態を、問題ないとは言わない。
ひとを思うのではなく、事なかれ主義で自分を守っているだけのことがあるからだ。
そのうえで、ぼくは思う。
アンフェアな書き込みや、外国勢力による書き込みがあるという現実に対して、みんなで頼まれもしないのに一生懸命に、どうしようかって考えて議論が白熱する。
なんて素晴らしいことかな。
そう、思いませんか?
神無月の二十八日 午前二時まえ 静かな夜ふけに原稿を書き続ける、そのあいまに
(写真は、ことしラオスに入って、メコン河に近い古寺を訪れたときに撮りました。金色に輝く大仏さまの、その背後に、ひっそりといらっしゃった仏です。みあげる角度によって、驚くほど活き活きと笑っておられたり、厳しさをありありと漂わせた瞑想の表情だったり、おなじ仏の一つのお顔がまるで違ってみえることに、驚嘆しました。
はっとするほどに美しい胸をした、永遠の仏さまです。
ぼくはラオスと日本の新しい連携を本気で考えています。)
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