On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2009-06-14 04:05:45

最前線の夜明け





▼みなさん、ぼくは今、国境の島、隠岐の島にいます。
 隠岐の島(おきのしま、島根県)は、知られているようで知られていないけど、日本の海の最前線です。

 竹島にもっとも近く、この島に棲む2万5千ほどの島民のかたがたは、島根県の全県のひとびと、それから鳥取県をはじめ近県のひとびとと連携して、懸命に竹島を取り戻す運動を続けているのです。

 ぼくは、この隠岐の島の青年会議所(JC)の創立25周年の祭典に招かれ、きのう6月13日の土曜に、島に入りました。
 そして記念講演をいたし、そのあと「大懇親会」に参加して、みなと心意気の酒を酌み交わし、いまは部屋でひとり、原稿を書いています。


▼隠岐の島の青年会議所(JC)は会員がわずか9人です。
 しかし、近くの地域のJCの諸君が続々と駆けつけ、講演会には、島民のみなさんも強いまなざしで駆けつけてくれました。

 懇親会では、島根県庁総務部の山岡尚さんというかたから、管理監・竹島担当という名刺をいただいて、感激しました。

 山岡さんに「竹島担当! 島根県庁の心意気、取り組み、断固として支持します。前線にたつ自治体に竹島担当の部局があり、なぜ国にないのか。国にも竹島担当を置くよう、いっしょにやりましょう」と話しました。
 山岡さんは、爽快に笑い、「はい、がんばりましょう」と答えてくれました。

 この山岡さんの名刺には「かえれ島と海 竹島はわが国固有の領土です」と印刷され、「2月22日は竹島の日」とも、くっきりと記されています。


▼隠岐の島に入って、痛感するのは、竹島をも古くから漁場とする、この島のひとびとが、ご自分たちの生活と仕事の場だからというだけではなく、この祖国をどうにか立て直したいという思いで、こころをひとつにして竹島を取り返す自主的な運動にながく、しっかりと、たゆまず取り組んでいること、そして、その志と努力が、多くの国民に知られないでいるという悲痛な事実です。

 ぼくに講演会に来てほしいという依頼が最初にあったのは、もう1年半も前です。
 ぼくはもちろん、即座にお受けし、それから隠岐の島JCの野村竜平さん(監事・25周年実行委員長)、赤沼親志さん(理事長)、齋藤晋一さん(青少年開発委員長)をはじめとする若き面々は、ずっと努力を続けてこられました。

 不肖ぼくが、2月末に腰の骨を5本折ったときには、いちばん「無事に開催できるだろうか」と心配されたそうです。
 ぼくは今もまだ、5本のうち2本は繋がっていませんが、逆に言えば3本は無事、繋がっているわけで、いつものとおり、聴衆のかたがたのあいだを歩き、走りながら、下手くそながら講演を完遂しました。
 ほんとうに、ほんとうに、みんなのおかげです。

 野村竜平さんは、坂本竜馬から一字をもらってご両親が命名されたそうで、ぼくが無礼にも「竜平っ」と呼ぶと、快活に返事をしてくれます。
 竜平さんは、講演会のまえに「ほんとうに来てくれた」となんども繰り返しながら、ぼくの顔をまじまじと見つめました。
 そりゃ、来るよ。みんなの、この生きざまを見て、来ない男子はいない。

 懇親会は、隠岐の島の伝統の婚礼行事(披露宴)を模して開くという、素晴らしいアイデアで、日本の最前線の伝統文化をしっかり肌に感じながら、痛快に、盃をあげました。
 この地味ブログに集ってくれるみなさんにも、参加してほしかったなぁと本気で思いましたよ。


▼きょうの日曜は、この隠岐の島で、たいせつな対談をします。
 それは、古くから竹島をも漁場とされ、竹島が古来、日本領であることの生き証人の八幡家、その現在のご当主である八幡昭三さんとの対談です。

 八幡昭三さんの父上の故・八幡才太郎さんは、1954年6月14日、きょう2009年6月14日・日曜からちょうど55年前のこの日に、武装した韓国官憲の不法占領のなかを竹島に上陸しました。
 そして、日本領土と大書された古くからの標柱が破壊され、朝鮮領土と書き換えられてあるのを発見し、日本国島根県と書き直してこられたのです。

 なにかの活動家じゃないのですよ。
 ひとりの漁民として、生活者の権利として、みずからの漁場である海の竹島に上陸されたのです。
 国民が、政府にできないことを、きちんと完遂したのです。

 政府にできない…しかし、この当時はまだ、海上保安庁の艦船が八幡さんたちの行動を、支援していました。
 いまでは、こうした事実を知る機会すら、日本国民からほぼ喪われています。

 きょうの八幡昭三さんとぼくの対談は、NHKの依頼にもとづいて隠岐の画像を撮っておられる、地元の斉藤さんが撮影し、いずれ設立する竹島のためのミュージアムに常設展示する動画にするそうです。


▼写真は、この隠岐の島の夜明けです。
 左下の明るい灯火の船は、漁から戻ってきたイカ釣り漁船です。
 湾の出口には、これから早朝の漁に出て行く漁船も走っています。ちいさくて見にくいとは思いますが(いや、ごめんなさい、ほとんど見えませんが)、ふがいない政治家や官僚が竹島を外国に侵略されたまま捨て置くことにめげずに、生き抜く日本の漁民の心意気が、なんとか伝わってほしいです。

 われらは海の民、みんなで、この隠岐の島を応援しませんか。
 まずは、観光でもいい、隠岐の島という「現場」、ザ・ゲンバに行きませんか。
 飛行機でも船でも、すぐに行けます。

 ゲンバ主義は、誰でも決心さえすれば、どんどん実行できます。
 おかねがないときは、それは仕方がないです。しかし、もしも何かの買い物をちょっと待ったり、飲み会を何回か延期したり、家族会議で意見が一致できたりしたら、最小限の旅費をこしらえて、この隠岐の島をはじめとするゲンバへ行っていただけませんか。
 それだけで、最前線のひとびとへの素晴らしい応援になります。


▼それから…応援といえば、みんなが「賢者tv」という動画サイトを応援してくれているようで、感謝しています。

 たくさんの日本の社長たちの印象深い動画がアップされているなかで、信じがたいことに、不肖ぼくごときの動画が、動画視聴時間、アクセス数ともに、ずっと第1位を続けています。

 前にも書きましたが、この「賢者tv」という無料サイトからインタビュー収録に来られた若いスタッフたちの熱意は、大したものでした。
 これからもサイト全体を応援してあげてください。

 アクセスは、サイト全体が http://www.kenja.tv/、ぼくが紹介されているページが http://www.kenja.tv/index.php?c=kenjadetail&m=index&kaiinid=8090です。



▼あと、このごろ、いただくEメールがますます増えて、返信がますます遅れていることを、許してください。

 実は、さっき気づいたのですが、このブログにもメール機能があるのですね。
 物凄い数のメールが未読のまま溜まっていました。
 その多くは、スパムですが、ブログに来られたかたがたの真摯なメールも沢山ありました。
 いつかは返信できるでしょう。

 ごめんね、気長に待ってください。




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