On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2010-03-21 12:55:39

残念なこと




▼いま生で放送されているテレビ朝日の番組で、ぼくのコメントが流れました。(3月21日午後)
 仕事をしながら、それを、たまたま視ていて、びっくり。

 ワシントン条約の会議でクロマグロの輸出禁止提案を否決したことに関連して、ぼくはテレ朝のVTR取材に対して、こう述べた部分があります。

「シーシェパードはさっそく声明を出してですよ、これはもう人類にとって不幸な事態だ、だから、われわれは断固、いま向かってる地中海への船団を進めるんだと、言っているわけで、彼らにとってこの否決は実はチャンス拡大じゃないですか。(日本は)喜んでいるんじゃなくて、次の事態に備えるしかない」

 すなわち、否決されたからといって油断してはいけない、というお話をしました。

 ところが放送されたときの字幕では、話の後半が「地中海にいる船団を沈めるんだ!」となっていました。
 シーシェパードが、地中海の漁船を沈める、という話に一変しています。
 ぼくの述べたのは、漁船ではありません。
 地中海に向かっているシーシェパードの船団を(否決によってむしろ勢いづいて)進めるんだ、そうシーシェパードが言っていると、指摘したのです。


▼ぼくはシーシェパードの蛮行に強く反対しています。
 また彼らは、日本の正当な調査捕鯨船に、彼らの船を意図的にぶつける行動もしていますから、それがいつ船が沈む不測の事態に結びつかないとも限りません。
 しかし、彼らが言っていないことを、言っていると放送されるのは、いけません。
 彼らはクロマグロの一件で「漁船を沈める」とは全く言っていないし、ぼくの知る限り、「船を沈める」とはかつて言ったこともない。

 シーシェパードは、それほど幼稚じゃない。
 もっと、したたかです。
 調査捕鯨船の件でも、捕鯨船からぶつかってきたと嘘を平然と言っているぐらいです。

 VTRを作ったスタッフのかたがたの聞き間違いです。
 ただし、収録のとき、ぼくはまったく眠っていない徹夜明けだったから、滑舌が悪くて、聞き取りにくかったのでしょう。
 だから、VTR制作スタッフのかたがたの責任は一切、追及しません。

 だけど、幸いにして生放送ですから、訂正が間に合う可能性もあると思い、急ぎ、テレ朝に電話しました。
 ところが、ぼくの携帯電話にある複数の電話番号にいくつ、かけてもかけても、「この番号は、もう違う番組です」ということで、つながりません。
 これは、テレビの世界では、よくあることです。


▼この書き込みのタイトルに、「残念なこと」と表現しているのは、次の出来事です。

 ようやく、番組の電話につながったので、電話口のひとに、スタジオにいるディレクターに伝えてくれるよう頼むと「いや、そう言われても、スタジオは遠いし、時間がかかるし…」などと言って、まったく動いてくれません。

 ぼくは、訂正してくれと求めたのではありません。
 それは編集権を持つテレビ局の判断だし、ぼくの滑舌も悪いのだから、そう要求するのではなくて、「とりあえず、スタジオ内のディレクターに伝えてください」と頼んだのです。
 訂正するかどうかの判断は、そちらの自主的判断だから、まずは伝えてください、という趣旨だけを言っているのにもかかわらず、伝えるなんて時間がかかるから…という返事でした。

 ぼくはやむを得ず、声を荒げて、「あなたもテレビマンの一人でしょう。伝えるぐらいはやりなさい」と叱責しました。
 相手のかたは、声からして若手ではなく、明らかにベテランです。
 すると、ようやく、分かりましたと電話を切りました。


▼そのあと、旧知のディレクターからぼくの携帯に電話があり、このスタッフがベテランであることをフェアに明かされたうえで、その行動の鈍さを謝罪され、「番組では訂正できませんでしたが、シーシェパードなどからクレームがあれば、間違えたのはこちらですから、こちらで対応します」ということでした。

 個人としては、すでにまったく怒っていません。
 しかし、テレビであれ、どんなメディアであれ、発信することに関わるひとびとはすべて、間違ったときにこそ俊敏に動くべきです。

 ぼくのいた共同通信ならば、上記の間違いは必ず、即、訂正を出します。
 しかし通信社とテレビは当然、メディアが違います。テレビはきわめて放送時間が限られているから、訂正できる場合とできない場合があります。
 それを承知のうえで、VTR出演を引き受けたのだから、そこはテレビの編集権を基本的に尊重すべきだと、ぼくは思います。

 ただ、そのうえで、「間違ったときにこそ、責任感を直ちに発揮する」という姿勢でないと、視聴者を裏切ります。
 スタジオに伝えることすら避けようとしたベテラン・スタッフの名前も、ご本人にその電話で聞きました。それはもちろん、明らかにしませんし、これ以上の責任追及もしません。

 しかし、地上波のテレビ番組にふつうの国民の不信感が強まっていることを改善するには、やはり基礎的な責任感が肝心だなと、あらためて痛感しています。
 それは、ぼく自身にも当てはまります。
 ぼくがテレビタレントでもなくテレビ評論家でもなくて、テレビにあまり顔を出さない、顔を出すのは1週間に1回でも、たとえ10年に1回でも、ちらりとでも関わる以上は、基礎的な責任感をさらに大切にしたいと、考えました。

 それにしても、新刊の「ぼくらの祖国」の執筆追い込みに集中している時間を、この騒ぎで大きく削がれてしまいました。
 それがいちばん、いまは、痛い。




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