On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2011-11-26 04:39:32

たいせつな日本人




▼いま、出張先の北陸路で、午前4時38分。
 夜明けまで、あとどれくらいだろうか。
 ぼくは、出張での仕事を夜に終え、宿泊先で眠りなく原稿を書き続けている。

 きょうは11月26日土曜日だ。
 読者をながいあいだお待たせし続けた「ぼくらの祖国」を扶桑社から発刊する12月21日まで、あと、今日を入れて実質28日しかない。

 それなのに扶桑社の信頼する編集者、田中亨さんは、11月28日・月曜の正午まで原稿を待つ、これが最後の最後ですと、きのう教えてくれた。
 奇跡のような編集者、奇跡のような校正スタッフ、奇跡のようなすべての関係者と言うほかない。本はふつう、原稿が上がってから発刊まで4か月ほどかかるのだ。
 すでに表紙のデザインも決め、その校正も済ませ、写真と図版の手配も終わってはいるが、原稿の脱稿から25日ほどで本を書店に並べるのは、常識をはるかに超えている。

 その、出版社のみなさんへの尽きない感謝と、待ち続けてくださった読者への熱い気持ちで、ようやく、眼が、深い眠りでふさがれないよう耐えている。


▼祖国を甦らせるために戦う独立系民間シンクタンクの社長としての任務を、ぼくなりに一切、妥協せず、遂行し続ける。
 それと両立させつつ、こうやって原稿を書き続けていて、さっきふと、物書きに戻っている何とも言えない歓びを感じた。


▼きょうは、昼前まで、この宿泊先で執筆できる。
 そのあと、ここ北陸から神戸へ向かい、生まれ故郷の神戸、そして日本国をよくするために踏ん張っているひとたちとの公式会合に出て、あす日曜には神戸から福岡へ向かい、志を持つ個人のかた(薬局の店主さん)が主催する講演会(※この一つ前の書き込みをみてくださいね)で講演し、そあとの懇親会にも出て、あさって月曜の早朝7時には飛行機に乗って、帰京し、そのまま原発へのテロを防ぐための公職の会議に出て、同じく原発テロを防ぐための別の会議3つ、つまりは計4つの会議をこなし、夜9時半からは読売新聞の取材を受ける。

 その間に月曜正午の、最後の最後の、原稿〆切を迎える。

 ほんとうのぼくは怠け者なので、こんな社会人生活が待っていると、もしも学生時代に分かっていたら、永遠に逃げ出したかもしれないナァ。
 このタイミングで、奇怪な思い込みの嫌がらせも延々と受けているが、「青山さんが過去に受けてきた不正義の嫌がらせのなかでも最悪だから対処してほしい」というメールや書き込みを、沢山のかたからいただいている。
 こうしたことがあると、学生時代のぼくに分かっていたら、どうだろう。
 いや、逃げ出しませんね。


▼新刊の「ぼくらの祖国」には、硫黄島の英霊をめぐることも、書籍としては初めて、深くしっかりと盛り込んでいる。
 沖縄の少女たちの自決壕、旧ユーゴ戦争、イラク戦争、硫黄島、福島第一原発と、現場を歩いてきた。
 歩かせてくれた天命に、感謝している。

 ぼくは、現代の亀山社中としての独研、独立総合研究所のちいさな灯火を掲げつつ、もっともっと、物書きに戻っていく。
 その歓びは、サーキットに戻った歓びと、実は、よく似ている。
 ふひ。


▼写真は、硫黄島での一枚です。
 ぼくと握手している人は、さて誰でしょう。
 ただのおじさんでは、ありませぬ。硫黄島の秘密を、いちばん知っている素晴らしいひとです。
「ぼくらの祖国」に、たいせつな日本人のひとりとして登場します。

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