On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2011-12-13 05:52:12

The Morning Star




▼シスコから成田空港へ、成田から、小松空港へ、小松から北陸路へ。
 そして12月12日の深夜、久しぶりにいったん東京へ帰りました。
 休まずに、会員制レポート、東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)の年末特集の4本目を書く。
 このTCRはことし、癌手術や福島原子力災害などの影響で配信本数が少なくなっていたので、この12月の年末特集を11本、集中配信するつもりなのです。
 

 机に向かうのは、疲労の激しさからして、さすがにちょっと心に負担が大きいので、ソファでモバイルパソコンを開いて書いていると、繁子がトーゼン、膝に乗ってきて大昂奮。
 机で書いていると繁子が膝に乗れなくて寂しいだろうという気持ちもあって、ソファで書いていたのですが、繁子の喜びようは、はんぱじゃなかった。
 帰宅して玄関を開けると、繁子はいつも夢中で突進してきて、ぺろぺろ攻撃を繰り出すのですが、それも、すごかった。
 ごめんね、繁子、寂しかったんだね。

 レポートを書いている途中、午前1時前ぐらいに、ソファで無意識に寝込んでしまう。
 ホントはすこしでも、ベッドに横になりたかったので、自分のだらしなさに、がっかり。
 まぁ、とはいえ、ベッドでちゃんと寝たら起きられなかったかも。
 朝早くに、自宅を出て、入院中の母を見舞いに行き、そのまま関西へ出張に出ねばならないから、起きられなかったら大変だべや。

 午前3時半過ぎに、目を覚まして、レポート執筆を続けて、午前4時半ごろ、繁子を散歩に連れていきました。
 元気いっぱいの繁子と、寒さを気持ちよく味わいながら歩いていると、真っ直ぐ正面の空に、明けの星がくっきりと現れました。
 大きなお月さまが出ているのに、その光に負けずに、青く滴るように輝いています。


▼ぼくはこころに沁み入るように、静かに、感激したのです。
 明けの星には、忘れられない思い出があります。
 29歳のころ、共同通信の京都支局に属する事件記者として、京都の伏見区深草に棲んでいたとき、明け方まで刑事たちを夜回り取材して、マンションに帰りました。
 疲れ果ててベランダに出ると、東山連峰の南のはし、伏見稲荷の上の夜明け前の空に、明けの星が、ほんとうに青いしずくがたっぷりと滴るように、輝いています。

 ぼくはそのとき、「俺は世の中を良くしたいと思って、記者になった。その仕事を貫いて、貫いて、そしていつか、ひとりの物書きであることと両立させる」と胸に誓ったのです。

 その誓いを忘れたときはありません。
 20年近く、記者を務め、ペルー日本大使公邸人質事件をきっかけに記者を辞め、そして日本初の独立系シンクタンクを創立することになるとは、そのときは知りませんでしたが、不肖ながらシンクタンクの社長と首席研究員を務める志は、記者時代と寸分、変わらない「世の中を良くしたい」という気持ちです。

 亡くなった父は、「おまえは、記者の仕事だけではなくて、いつか実務をやって欲しい」と言っていました。
 父が、繊維会社の現役社長のまま、医療過誤で窒息死を遂げるまで、その言葉が胸に迫ることはなかったのです。しかしペルー事件で記者を辞める決心をしたとき、その言葉が甦りました。
 いま独研(独立総合研究所)の、テロから国民を護ることをはじめとする実務を通じて、祖国にほんのささやかに献身することを貫きつつ、物書きとして再出発することを、この秋に誓いました。

 ずいぶんと心身に無理はかけたけれども、その再出発の第1作が、あと2週間ほどで書店に並ぶことになり、そして、ふたたび明けの星に出逢いました。

 実は、新作の「ぼくらの祖国」の第1章は、「明けの星の章」と名付けているのです。
 今朝の出逢いに、深い感謝を捧げました。


▼繁子と家に戻り、パソコンをまた開くと、この地味ブログに、独研のまだ新しい会員組織「インディペンデント・クラブ」の会員のかたから書き込みがありました。
「アマゾンでも予約できるようになりました。ランキングの17位です」とあります。
 へぇ、と思ってアマゾンを見てみると、10位です。

 まぁ、2年半もお待たせしましたからね。
 最初だけです、謙遜ではなく。

 しかし、わざわざ予約してくださったみなさん、どうやって感謝したらいいのかな、と思うほど嬉しいです。
 サイン会などで握手に、ハグです。ふひ。


▼「王道の日本、覇道の中国、火道の米国」そして「日中の興亡」(いずれもPHP)も、なぜか同時に再びよく売れている、読まれているのも、か~な~りの喜びです。
 一作一作、当たり前ながら一切、手抜きをせず、心血を注いで書いているので、どの作も、たいせつな親友ですから。

 ふつうなら、おのれの著作は「我が子」と言うところかも知れないけど、ぼくは「書いたものはいったん手を離れて書籍になれば、それは我が子ではなく親友と考えるべきだ。社会の共有物だから」というのが、プロの書き手としての、ちいさな信念のひとつです。


▼さぁ、冒頭の写真が、その明けの星なのです。
 空の彼方を携帯電話で撮りましたからね、見にくいでしょうが、見えますか、青いしずくが-。

 下の写真は、アマゾンに出ていた新刊の表紙写真です。



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