On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2006-03-18 08:02:28

朝から朝へ





 いま2006年3月18日土曜日の朝、6時42分。
 自宅の書斎のカーテンの向こうに、東京港の明るい光が感じられます。
 ベランダのある部屋から、ちらりとだけ空をみあげたら、やっぱり青く澄んでいました。

 今朝も、なんとねぇ、徹夜明けです。
 これじゃまるで、このブログは徹夜日記。
 ちょっとまえには、まるで闘病記だったこともあるけど、まぁ、大丈夫。

 きのう17日金曜日は、なかなか凄まじい日でした。
 朝7時、徹夜明けのまま、顔を洗う時間もなくタクシーに乗り、羽田空港へ。
 揺れる車中は、モバイル・パソコンで原稿執筆。
 独研から配信している会員制レポート『東京コンフィデンシャル・レポート』の第272号の仕上げです。
 しかし終わらず、パソコンを脇に挟んでタクシーを降り、空港のチェックイン機に駆け寄って、ANAの大阪行きにチェックイン。

 空港のラウンジの洗面所でようやく顔を洗い、また執筆。
 飛行機に搭乗すると、猛スピードで各紙の朝刊を読み、ベルト・サインが消えると、すぐにモバイル・パソコンの電源を入れて、ふたたび執筆。

 伊丹空港に到着してタクシーに乗ると、車中で執筆。
 そして、エネルギー企業の本社へ着くと、同行の独研社員がトイレに行っているあいだにも、執筆。
 そして、この企業の中堅幹部と会う。
 独研のある誠実な研究員が、残念ながら思いがけず引き起こした、想像を絶する失敗について、つらい協議。
 この企業とは、記者時代から20年以上もかけて、利害なき友情を育んできた。それが一瞬の失敗で壊れそうです。
 謝罪すべきは謝罪し、しかし、先方の誤解であることはきちんと、誤解であると述べました。天はすべてを見ていらっしゃる。真っ直ぐに対応するだけです。

 そのあと、この企業の別の幹部である、永いつきあいの友人と昼食。
「青山さん、今回の件だけじゃなく、最近は社員の引き起こすことで悩みがいくつもあるんじゃないですか」と彼は言う。
 この人は、むかしから深い思いやりのある人だ。さすがに、よく分かるんだなぁと内心で、感嘆して顔を見る。
「独研が大きくなって、しかも青山さんは講演をはじめ外を飛び回らなきゃいけなくて、ご自分で直接やれない、社員に任せなきゃいけないことも増えているのでしょうから、必ず通過すべき過程ですよ」と、彼は続けました。
 そのとおりだ。社員がもっと楽しく仕事できるように成長させつつ、この過程を乗りきって、『次の独研』へ向かいたいな。


 その企業を出ると、大阪で定宿にしているホテルへ。
 しかし今日は部屋には入らず、まっすぐにプール&サウナへ。
 このあと、読売テレビの『激テレ★金曜日』に生出演するけど、徹夜を重ね重ねているから、プールで泳いですっきり目を覚ましたかった。
 と言うより、それをしないで出演したのでは視聴者に失礼と思うほど、ひどい顔になっている。

 しかし、仕上げ途中の『東京コンフィデンシャル・レポート』272号をどうしても仕上げて配信したかったから、裸にはなったけどプールには入らず、サウナの椅子でパソコンを打ち続ける。
 そして、仕上げを完了し、電子メールで独研へ送る。
 さぁ、これであとは、独研の総務部から会員へ配信してくれる。

 大急ぎで、競泳パンツをつけ、スイミング・ゴーグルを持って、プールへ。
 10分だけ怒濤のように泳いでから、まるで水中発射の人間ミサイルのようにプールから飛び出して、浴室へ。
 これもまた大急ぎで、髪を洗い、ひげを剃り、駆け足でロビーへ降りて、タクシーに乗り、読売テレビに向かう。

 車中で、独研の研究員たちに電話をかけて打ち合わせをし、政府機関に提出する予定の報告書の原稿をみる。

 読売テレビに着くと、一息をつく間もなく、メインキャスターの宮根さんや、ディレクターや、ほかの出演者・パネラーと打ち合わせが計3回。
 そしてすぐ、スタジオに入って、生放送が始まった。
 PSE法(電気用品安全法)の問題から始まって、自民党参院議員の桝添さんや、勘のいい(社交辞令じゃありません)タレントのかたがたや、気鋭の弁護士さんたちと、トーク。

 桝添さんは、PSE法を支持なさった。ぼくは「天下の悪法」とあえて指摘した。
「古い電気製品の事故によって亡くなるような事故が起きないようにしたい、その志は正しいが、それだからこそ検査を電機メーカーと民間検査機関に任せてしまう現行の法の内容には、その点だけでも疑問がある…(中略)…この4月から制度を動かしてしまうのではなく、せめてもう1年、猶予して、法改正を含めて、わたしたち国民に相談すべきだ」と述べた。

 これ以外にも、岩国の住民投票、ライブドアとUSENなどなど、かなり盛りあがったトーク、あるいはディベートにはなったと思う。

 生放送中に、芸能のコーナーになったとき、スタジオを出て控え室へ戻り、モバイル・パソコンを立ち上げて報告書の原稿をみて、独研の研究院と電話で協議する。
 いくら忙しくても、生放送の途中にスタジオを抜け出して、こんなことをするのは初めてだ。

 かなり長時間の生放送が終わると、すぐタクシーで空港へ。
 揺れる車中は、モバイル・パソコンでメールチェック、伊丹空港に着くとラウンジで執筆。機中では、さすがに、ぐぅーと眠りに引き込まれるが、なんとか自分を励まして眼をこじ開け、やっぱり執筆。
 ああ、眠りこけたかった。
 羽田空港に着いて、自宅へ向かうタクシーでも執筆。

 独研でなくて、自宅へ戻ったのは、もちろん、もう夜10時近かったこともあるけど、いくらかでも眠りたかったから。
 ところが、メールをチェックするうち、研究員のひとりが社内向けに送ったメールをどうしても放っておけなくて、独研へ電話しているうちに、夜が更けていくというより、夜明けが近づく。

 その電話が終わると、独研の別の研究員(上席研究員)に無理にでも起きてもらい、電話で独研で頑張って徹夜態勢でいる研究員たちとやりとりをさせ、そのやりとりの中身をチェックし、それやこれやが終わると、ますます夜明けが近づく。

 いくらなんでも、もう仮眠ぐらいはとらないと、と思うが、19日の日曜朝に出演するフジテレビ『報道2001』のディレクターから電話打ち合わせの依頼が来ていることを考える。
 ふつうに考えれば、ディレクターはきっと仮眠中だけど、番組で使うVTRをつくるために急いでおられるのかも知れないなぁ、電話しようかどうしようかと迷う。
 しかし、やっぱり放っておけなくて、電話をかけ、恐縮ながら仮眠から起きていただき、たっぷりと打ち合わせる。


 そして、こうやって、完全な朝になりました。


 写真は、去年の春に撮りました。
 靖国神社に近く、無名戦士の墓のある千鳥ヶ淵で、独研の社員たちと花見をしたときの、夜桜です。
 帰国子女のおおい社員たちが、祖国の凄絶なほどに美しい桜に、深い印象を持ってくれたようで、うれしかったのです。

 寒かった冬の去る、ことしの春もまた、新しい気持ちで、独研のみんなと、わたしたちの桜を見たいと思っています。



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