On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2006-03-26 03:01:19

枯れないブーケ、魂のなかに生きつづける花束





 3月25日土曜の午後1時半ごろ、自宅近くのプールへ。
 TVタックルの収録があるから、どうにか目を覚ましたい。

 ロッカー・ルームで顔をみると、うーむ、凄い。
 疲れた感じとか、眠そう、なんて段階を、はるかに通り越している。
 ぐしゃぐじゃ。

 もう迎えの車の来る時間が迫っているから、あまり泳げないけど、20分ぐらい泳ぐと、身体も頭も目覚めていくのが分かる。

 自宅へ戻り、迎えの車に乗ってテレビ朝日へ。
 きょう収録のタックル(放送は3月27日の月曜夜)は、いつもと違ってスペシャル版。夜7時から10時前まで放送するようだ。
 ぼくは、その後半だけに出るから、収録も後半だけ。
 だから、いつもと違って、途中から入るわけで、いつもよりさらに議論(…あるいはタックル名物、怒鳴りあい)に入るのが簡単じゃない感じ。

 それでも、たまに、これだけは黙ってはいられないという場面があって、そこでは自分を励まして、声を張りあげた。
 ただし、編集で残っているかどうか、それは分からない。

 テレビ朝日から帰宅すると、すぐに、PHPの論壇誌『VOICE』に掲載される原稿、「シミュレーション米軍撤退」(仮題)のゲラ直しに取りかかる。
 タックルの収録は、それなりに疲れるので、あーあ、休みたいな、ぐーっと眠りたいな、と思ったけど、なにせ、きのう書き込んだように実に234行もの分量を削り込まなきゃいけないし、それを必ず今夜中に終わらねばならないし、残念ながら、腰を伸ばしてる時間もない。

 きょう午後のテレビ収録も、今この深夜というか未明のゲラ直しもすべて、同時代を生きるみんな、みなさんへ、日本国民へ、伝えるべきを伝えるという本来の目的に集中するよう、そこだけに魂を絞りこみたい。



 写真は、講演を聴いてくださった方から、いただいたブーケです。
 2月に中東出張を中断して、往復1万7000キロほどをわたって兵庫県小野市で講演したときに、思いがけず、小学校の同級生たちが控え室を訪ねてきてくれました。
 それから、高校生のときの女ともだち(…と言っても手をつなぐことすら想像もしなかったし、デートというのもしたことがないけど)、昔とびっくりするぐらい変わらないひとも、控え室に現れた。わぁー。

 その二組の方からいただいた、ふたたばの花束なのです。
 講演が終わったあと、大阪の定宿のホテルに宿泊したとき、ホテルに頼んで、一緒に大きな花びんに活けてもらった。

 講演でも、テレビでも原稿でもいつも同じです。
 おのれがどうみえるかとか、そんな意味のちいさな私心にとらわれずに、同時代を生きる仲間に、世代も性別も仕事も、仕事のあるなしも関係なく、みんなに、みなさんに伝えるべきを伝える。
 そのことに集中して、これからも、ささやかに力を尽くしたいのです。尽くし切りたいのです。

 今は、2006年3月26日日曜の午前3時09分。
 ただ一度切りの命の時が、こうして誰の上にも刻まれていきます。二度と帰りません。


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