On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2006-03-30 03:12:08

さらり、きりっと、シミュレーション





▼去りゆく平成17年度、その年度末まであとわずか4日になった平成18年3月28日の水曜日、大阪へ向かいました。大阪は、すこし久しぶりです。

 ぼくが社長・兼・首席研究員を、不肖ながらつとめるシンクタンクの独研(株式会社 独立総合研究所)が、平成17年度に受託した研究プロジェクトはすべて、大滝が落ちるように終了します。
『最終報告書』をひとつ残らず、仕上げて、プロジェクトの委託元の政府機関や自治体、民間企業に渡すのです。
 委託元はどこも、独研の専門能力や志、国内と海外にもつ人脈を信頼して、研究を委託してくれました。その信頼には、かならず応えねばなりません。

 それに、独研の研究プロジェクトは、政府の政策に直接、影響を及ぼすものです。
 たとえばテロリズムをはじめ現代の脅威からどうやって国民を護るかの施策を、現実に変えていきます。改めていきます。
 それから、自治体がどうやって危機に立ち向かうか、企業が危機に負けずに社会への貢献をどうやって続けるか、そうしたことについて具体的な提案をおこないます。
 だから、形だけ整った報告書を出すということは一切やりません。

 そうした仕上げに残された時間は、この水曜日の時点であと、4日。
 一方で、新しい春の4月がどんどん近づきます。
 春には、社会のあちこちで、たくさんの人が新しい試みをはじめます。
 そのなかにはテレビ局の新番組もあります。
 大阪の関西テレビがスタートさせる報道番組『ANCHOR』に、ぼくもささやかに参加します。

 このANCHOR(フルネームは、スーパーニュースアンカー)は、在阪局では初めて夕方5時から7時までを打ち抜く、力のこもった大型の報道番組です。
 新しい試みですから、「シミュレーション」が行われることになりました。

 ふつうなら「リハーサル」と呼ぶところでしょうが、関テレからの連絡は「シミュレーションをやります」でした。それが、とても自然なのです。きっと「本気印」のニュース番組だからでしょう。
 そこに意気を感じて、この年度末の狂瀾怒涛のなか、大阪へ向かうことにしました。


▼水曜日の午後、タクシーで羽田空港に向かいながら、車中では大部のプロジェクト報告書をすみずみまで点検する作業です。
 揺れる車中で細かい文字を見過ぎたのでしょう、すこし気持ち悪くもなりながら、機中でも続けます。
 ときどき、どうしようもない眠気につかまえられて、また、はっと目を覚まします。

 機が高度をどんどん下げて、伊丹空港への着陸態勢に入ったとき、突然にエンジンが唸(うな)りをあげて機首を大きく上に向け、不自然な再上昇を始めました。

 数え切れないほど、羽田から伊丹へ飛んできましたが、こんなことは初めてです。
 着陸をふいに途中でやめたこと、機長からのアナウンスがないこと、それを考えると何か緊急事態のようです。
 飛行機が好きで、いつも新幹線ではなく飛行機を利用するのですが、こんなときばかりは新幹線を使う人の気持ちが分かります。
 機は、どこにも降りられないような雰囲気を漂わせながら、迷走するように見慣れないあたりを飛び続けます。
 ふと、これで死ぬのかなぁ、と考えます。
 いつも、ぼくなりの死生観とともに生きています。
 だから、ここで生が断ち切られても、天の意志として受容します。

 それでも、すべての人と同じように、残される会社、残されるひとびとのことが頭に浮かびます。
 深く考えたわけじゃありません。窓の外から視線を外して、読みかけの新聞を読み始めました。飛行機に命を預けて乗っている立場では、じたばたしても意味がないですから。
 目を見開いて青ざめて窓の外を見つめている乗客もいます。その心のうちはよく分かります。
 エンジンが急に、唸る音を高くしたり、また急に、まるでエンジンがないみたいに静かになったり、感じようによっては不安定なようすにも思えます。
 あとになれば大げさな話にみえても、そのときはみんな、それなりに必死の思いもちらりとは、込みあげますよね。

 これは、伊丹空港の真上に雷雲がやってきて、着陸を続けると危険があるかも知れないと管制から「着陸中止」の緊急指示があったためでした。
 しかしANAの機長は、しっかりした腕を持った人でした。
 滑走路にタイヤが着く、まさしくその寸前まで、上下左右に大きく機体が揺さぶられるという厳しい条件のなか、最後には、みごとに着陸しました。

 さて、生きていれば何事もなかったのと同じ、雷雨のなか、伊丹から再びタクシーに乗り、車中ではまた報告書チェックです。

 タクシーで、まず、深く信頼する経済人のところへ行き、新年度の研究プロジェクトの最初の相談を軽くやりました。
 そこからホテルへは歩く。
 夕陽の水の都は、春の雷雨があがったあとで、すがすがしかったのです。歩くのも愉しかった。
 いつもの部屋に入ると、大量の電子メールと格闘しつつ、夜の打ち合わせに備えます。

 夜、関西テレビの会議室で、あすの「シミュレーション」に備えて打ち合わせをし、そのあと独研の同行者と2人で、遅い食事をとりました。
 目のまえの鉄板でコックさんが、肉や野菜を焼いてくれるスタイルの店です。
 この日のコックさんは、26歳の女性、Mさん。
 あっさりした話し方や雰囲気が爽やかで、料理も嬉しくなるほどおいしかった。
 このMさんは、関西テレビの『2時ワクッ』をいつも見てくれていたそうです。
 新しい報道番組は、出勤時間と重なるそうですが、録画をして見てくれるとのこと。
 なんだか明日のシミュレーションに向けて、幸先がいい感じ。

 ホテルに入ると、また原稿、原稿。
 あー、すべてを忘れて、がぁーと眠ってみたい。


▼明けて、3月29日の水曜日。
 まず早朝7時15分から、RKB毎日放送ラジオ(福岡)に電話で生出演です。
 寝てないから声がしゃがれていて、番組スタッフやリスナーに申し訳ない感じがします。
 きょうは「次の首相は誰か、新首相を選ぶときの争点は何か」について話しました。

 ぼくは、秋の自民党総裁選の争点は、実はただ1つに絞られていると考えています。
 中国です。
 膨張する中国に、今ここでフェアに毅然と、国際社会のルール通りに接することができるかどうか。
 それが、現在のわたしたちよりも、次の世代、そのまた次の世代の日本の運命を決します。
 その選択を今やるのが、わたしたちの責任です。
 このことは、外交だけにとどまらず、経済も政治でも同じです。


▼正午、ホテルの中のプールへ。
 眠気と疲労で、やっぱり持久力がない。
 それでも、全身が目を覚ますぐらいには泳いで、早めにプールから上がり、浴室へ。
 ふとラウンジで血圧を測ってみると、126~81。20歳代前半の血圧だとのこと。こういう体質に生まれさせてくれた両親に、感謝。

 そして、局へ向かうまえに、会うべき人、ぼくと独研のたいせつな味方の人と会いました。
 こころが通じ合うから話は充実しつつ簡潔に終わって、予定より早く関テレ入り。

 メインキャスターの大阪でいちばんの人気アナ、山本浩之、ヤマヒロさん、それからフレッシュな村西利恵アナをはじめ番組スタッフと綿密に打ち合わせてから、報道スタジオへ。

 このスタジオは、ぼくが生まれて初めてテレビ番組というものに、本格的に参加したスタジオなのです。
 選挙番組でした。
 フロアディレクターが指で数えるカウントの意味すら、よく分かっていませんでした。
 その時の関テレのスタッフがそれを聞いたら耳を疑っただろうぐらいに、テレビ番組というものを知りませんでした。

 それでも、ただ伝えるべき中身に徹して、解説し、問いかけ、話しました。
 いまも同じですから、このスタジオは、ぼくとテレビの関わりの原点ですね。
 そこへ帰ってきたのは、すこし嬉しかったのです。

 新報道番組ANCHORは、さらりといい感じのオープニングで始まり、やがて『青山のニュースDEズバリ!』という、ぼくの解説コーナーになります。

 ニュースの現場らしい、いい感じの緊張感が漂っていて、ああ、これはいい番組になりそうだなぁと思いました。
 年度末の苦しみのなかを、やってきて良かったなぁとも、思ったのです。

 写真は、シミュレーションが始まるときの報道スタジオです。
 左から、村西アナ、ヤマヒロさん、このシミュレーションで室井祐月さんの役をするスタッフ、そしてモバイル・パソコンを開くぼくです。
 みんなまだ、台本に目を落としていますね。

 このセットはまだ、3月までの元の報道番組のままです。
 新番組の本番になると、ぐんと変わります。


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