2022-01-30 03:56:37
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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少年の夢 少女の夢
▼なにかをこのブログに記すと、理解や共感が生まれることがあります。
それは、とても励まされることです。そのように申すだけでは足りません。もっともっと本質的な、支えです。
同時に、必ず、何かの誤解も生じ、その誤解がコメントとしてやって来ます。
おそらくは、ブログだけではなく、書籍、雑誌の連載エッセイ、動画、講演、ラジオ番組参加、そして国会質問・・・現在のぼくの発信、そのすべてにおいて誤解も生じています。
ブログへのコメントは、そうした誤解があることを知る、むしろ良い機会です。
誤解と言うにはとどまらないものもあります。唖然とする曲解もあります。それは、中傷誹謗とは別問題です。
中傷誹謗の意図は無いまま、ご本人の思い込みから来る、事実との深い乖離 ( かいり ) です。
しかし、今朝・・・まだ朝にもなってはいませんが、このエントリーであえて記そうとしているのは、そこまで深刻ではない誤解です。
▼たとえば、きのうの土曜に、つれづれなるままに記した3本のエントリー ( これとこれとこれです ) に対して、みなさんからいただいたコメントには、幸福な意外性がありました。
正直、こんなに理解され、共感していただけるとは思いませんでした。
ぼくはふだん、上述した発信のすべてについて、理念と具体性が共にあるように努めています。
どこまでも具体的な例を提示しつつ理念を語る、そのように、不充分であっても努力はしています。
しかし、きのうの3本のエントリーは、人を傷つけないために、具体性に、あくまで部分的にですが、眼をつぶりました。
ところが、かなり深い理解と、共感が沢山やって来ました。
すこし驚きました。
みなさんに感謝しています。
勇気づけられます。
▼一方で、たとえば「断筆するのですね」、「小説を書くのはやめるということですね」というコメントもやって来ました。言葉の通りではありません。趣旨です。
これは、誤解です。
文章を書くことのなかでも、特に小説を指して、書くのをやめるのですねと断じられているのは、小説の執筆が国会議員の活動ともっとも遠いという考えが、基礎にあるのでしょうね。
分かります。
物語文学の「わたしは灰猫」の新聞広告が出たとき、国会議事堂で、ある議員が「青山さん、新聞広告を見ましたよ。おおきな広告でした。新刊が出て、良かったですね」と声を掛けてくれました。
そのとき、たまたま護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) の役員のおひとりが横にいらしたのですが、「何の本 ? 」とぼくに聞かれて、「小説です」と答えると、ショオセツッ ? ? ? と大声で問い返され、そして顔色を変えられました。
ノンフィクションならともかく、文学など、まさか、という感覚でしょうね。
ぼくはそのとき、そういう受け止め方も理解して、微笑しただけでした。
しかし、考えは違います。
まつりごとが、文学と遠いなどということはありません。
日本には例が仮に無くても、世界には確実にあります。
何度か申しましたように、フランスで情報大臣や文化大臣を務めたアンドレ・マルローがそうです。
それから、たとえば南米大陸だけを考えても、小説家と政治家を両立させた著名人としては、ガブリエラ・ミストラル、マルティン・ルイス・グスマン、アルシーデス・アルゲダス、ドミンゴ・ファウステーノ・サルミエント、ホセ・マルモル、ジョゼー・デ・アレンカール、グラシリアーノ・ラーモス、ホセ・エルナンデス、ホルヘ・イサァクス、パブロ・ネルーダなどなど、いっぱい名前が浮かんできます。
南米、ラテンアメリカに多い気がするので、南米大陸を例に挙げたのですが、それはおそらく、もっともアクチュアルに ( 生々しく ) 現実と格闘している地域だからでしょう。
▼ぼくが申したのは、ほんらいのおのれの願い通りに、あと半年で国会議員を辞めるのなら、もっと時間を執筆に振り向けて、沢山の小説作品、沢山のノンフィクション作品を生むことができるのではと思いますが、それを断念し、予定外の2期目の選挙に臨み、当選するかどうかは実際まったく分かりませんが、もしも当選すれば、公務絶対優先を続けながら、できる限り執筆も続けますということです。
この5年半、国会議員として公務絶対優先でやって来ました。当然です。主権者・国民の負託を受けたのですから。
それでも、ほんとうは政治と文学は通底するという強い信念、少年時代からずっと変わらない信念のもとで、深夜から夜明け前の時間を使って、すなわち命をがりがりと削って、最低限の作品は産み出してきました。
それを続けるということです。
断筆では、まったくありません。
これは誤解なさった方に何かの苦情を申しているのでは、まったくありません。
ぼくにとって読者は、宝物です。希望です。
その読者に、まさかの誤解がないか、それだけを懸念して、これを記しました。
みなさん、きょうの日曜日、オミクロン株とその亜型のさなかにあっても、どうかゆるりと休んでください。
仕事のかたは、どうか気持ちよくなさってください。
どこまでも一緒に考えましょう。
▼このエントリーを書き終わって、気がついたことがあります。
そうです、ぼくの少年の夢は、政治と文学の両立でした。
気がつけば、この5年半、その道をすでに歩んできたとも言えます。
寿命は確実に縮まったでしょう。こゝろも身体も、重い負担に苦しんでいます。
しかし、なんとまぁ、少年の夢の道をどうやら歩いているらしいです。
偉大な大谷選手もきっと、投手と打者の二刀を思い切り鋭く振るのは、少年の夢だったのではないでしょうか。
誰にも少女の夢、少年の夢があると思います。
それに近づくのは、人生の永遠の夢です。
こうして気づく機会をいただけるから、コメントは、みなさんからのコメントは、素晴らしいです。
あらためて、ありがとう !
それは、とても励まされることです。そのように申すだけでは足りません。もっともっと本質的な、支えです。
同時に、必ず、何かの誤解も生じ、その誤解がコメントとしてやって来ます。
おそらくは、ブログだけではなく、書籍、雑誌の連載エッセイ、動画、講演、ラジオ番組参加、そして国会質問・・・現在のぼくの発信、そのすべてにおいて誤解も生じています。
ブログへのコメントは、そうした誤解があることを知る、むしろ良い機会です。
誤解と言うにはとどまらないものもあります。唖然とする曲解もあります。それは、中傷誹謗とは別問題です。
中傷誹謗の意図は無いまま、ご本人の思い込みから来る、事実との深い乖離 ( かいり ) です。
しかし、今朝・・・まだ朝にもなってはいませんが、このエントリーであえて記そうとしているのは、そこまで深刻ではない誤解です。
▼たとえば、きのうの土曜に、つれづれなるままに記した3本のエントリー ( これとこれとこれです ) に対して、みなさんからいただいたコメントには、幸福な意外性がありました。
正直、こんなに理解され、共感していただけるとは思いませんでした。
ぼくはふだん、上述した発信のすべてについて、理念と具体性が共にあるように努めています。
どこまでも具体的な例を提示しつつ理念を語る、そのように、不充分であっても努力はしています。
しかし、きのうの3本のエントリーは、人を傷つけないために、具体性に、あくまで部分的にですが、眼をつぶりました。
ところが、かなり深い理解と、共感が沢山やって来ました。
すこし驚きました。
みなさんに感謝しています。
勇気づけられます。
▼一方で、たとえば「断筆するのですね」、「小説を書くのはやめるということですね」というコメントもやって来ました。言葉の通りではありません。趣旨です。
これは、誤解です。
文章を書くことのなかでも、特に小説を指して、書くのをやめるのですねと断じられているのは、小説の執筆が国会議員の活動ともっとも遠いという考えが、基礎にあるのでしょうね。
分かります。
物語文学の「わたしは灰猫」の新聞広告が出たとき、国会議事堂で、ある議員が「青山さん、新聞広告を見ましたよ。おおきな広告でした。新刊が出て、良かったですね」と声を掛けてくれました。
そのとき、たまたま護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) の役員のおひとりが横にいらしたのですが、「何の本 ? 」とぼくに聞かれて、「小説です」と答えると、ショオセツッ ? ? ? と大声で問い返され、そして顔色を変えられました。
ノンフィクションならともかく、文学など、まさか、という感覚でしょうね。
ぼくはそのとき、そういう受け止め方も理解して、微笑しただけでした。
しかし、考えは違います。
まつりごとが、文学と遠いなどということはありません。
日本には例が仮に無くても、世界には確実にあります。
何度か申しましたように、フランスで情報大臣や文化大臣を務めたアンドレ・マルローがそうです。
それから、たとえば南米大陸だけを考えても、小説家と政治家を両立させた著名人としては、ガブリエラ・ミストラル、マルティン・ルイス・グスマン、アルシーデス・アルゲダス、ドミンゴ・ファウステーノ・サルミエント、ホセ・マルモル、ジョゼー・デ・アレンカール、グラシリアーノ・ラーモス、ホセ・エルナンデス、ホルヘ・イサァクス、パブロ・ネルーダなどなど、いっぱい名前が浮かんできます。
南米、ラテンアメリカに多い気がするので、南米大陸を例に挙げたのですが、それはおそらく、もっともアクチュアルに ( 生々しく ) 現実と格闘している地域だからでしょう。
▼ぼくが申したのは、ほんらいのおのれの願い通りに、あと半年で国会議員を辞めるのなら、もっと時間を執筆に振り向けて、沢山の小説作品、沢山のノンフィクション作品を生むことができるのではと思いますが、それを断念し、予定外の2期目の選挙に臨み、当選するかどうかは実際まったく分かりませんが、もしも当選すれば、公務絶対優先を続けながら、できる限り執筆も続けますということです。
この5年半、国会議員として公務絶対優先でやって来ました。当然です。主権者・国民の負託を受けたのですから。
それでも、ほんとうは政治と文学は通底するという強い信念、少年時代からずっと変わらない信念のもとで、深夜から夜明け前の時間を使って、すなわち命をがりがりと削って、最低限の作品は産み出してきました。
それを続けるということです。
断筆では、まったくありません。
これは誤解なさった方に何かの苦情を申しているのでは、まったくありません。
ぼくにとって読者は、宝物です。希望です。
その読者に、まさかの誤解がないか、それだけを懸念して、これを記しました。
みなさん、きょうの日曜日、オミクロン株とその亜型のさなかにあっても、どうかゆるりと休んでください。
仕事のかたは、どうか気持ちよくなさってください。
どこまでも一緒に考えましょう。
▼このエントリーを書き終わって、気がついたことがあります。
そうです、ぼくの少年の夢は、政治と文学の両立でした。
気がつけば、この5年半、その道をすでに歩んできたとも言えます。
寿命は確実に縮まったでしょう。こゝろも身体も、重い負担に苦しんでいます。
しかし、なんとまぁ、少年の夢の道をどうやら歩いているらしいです。
偉大な大谷選手もきっと、投手と打者の二刀を思い切り鋭く振るのは、少年の夢だったのではないでしょうか。
誰にも少女の夢、少年の夢があると思います。
それに近づくのは、人生の永遠の夢です。
こうして気づく機会をいただけるから、コメントは、みなさんからのコメントは、素晴らしいです。
あらためて、ありがとう !