On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2022-12-24 02:29:04
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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おそらくは、みなさんがまた勝ったのです  みなさんの見えない連帯の力は最高です  そして中国の独裁主義に反対する公人はこうしたまさかの攻撃に晒される・・・ことを示しているのかも知れませぬ



▼新しい小説の「夜想交叉路」をどう分類するか、いわばネット書店のどの書棚に置くかについて、アマゾンがひどい迷走や暴走を繰り返して、読者に何の本かを誤解させ、分からなくさせ、出版への事実上の妨害を行っていました。
 その挙げ句に、再び、日本文学という当たり前の分類に戻っています。

 みなさんの真っ当な声が次々、寄せられたからではないでしょうか。
 読者の勝利です。
 感じるままを申しますと、読者のみなさんの清い勝利です。

▼ただし、また揺り戻しもあり得ます。

 当初はこの小説を「ノンフィクション」に誤って分類していたアマゾンもいったんは、ちゃんと日本文学に分類し直していたのです。
 ところが突然に「セクシャルハラスメント」だの「社会学の参考図書」だの「白書」、「障害児教育ノンフィクション」、「早期教育」だの、およそあり得ない分類に変わりました。
「歴史小説、時代小説」なんて分類に急に変わったりもしましたが、「夜想交叉路」はまったく違います。現代の日本人の生き抜く姿を描いた文学です。

 さまざまな事実と情報を総合して、悪意のある介入があった、現在もあり得ると考えています。
 それも、中国共産党の独裁主義にもっとも強靱に反対している国会議員・兼・作家であるわたしを狙っての、介入である可能性が高いでしょう。

 したがって、執拗な、こうした介入、工作によってまた暴走する恐れが充分にあります。
 巨大外資であるアマゾンは、書物の分類を、能力の低いAIに依存しているようです。
 そうすると、検索のやり方などによって、AIを混乱させることは不可能とは言えません。

▼ブログに頂いたコメントの中には、「版元がこの本に付けた分類コード ( 「夜想交叉路」の裏表紙にあるC0095というコード ) が原因」と断じておられるものがあります。
 それは、違います。
 同じ問い合わせはすでに、わたしの秘書さんのひとりが、わたしの同意を得たうえで版元に正式に問い合わせました。

 版元からの回答は明快であり、その要点は以下の通りです。

 
( 1 ) CコードとAmazonのカテゴリー決定は関係ありません。
( 2 ) 「夜想交叉路」のCコードが0095なのは、良く読まれている「わたしは灰猫」と揃えたためです。「わたしは灰猫」も、純然たる日本文学、小説ですが、Cコードは0095です。
( 3 ) なぜ揃えたか。すでに書店の店頭にある「わたしは灰猫」と一緒に並べてくれる可能性も高まるからです。
( 4 ) 扶桑社の本は、ほとんどが0095となっていますが、書店がそれぞれ本の現物を見てどの棚に置くか判断するので、Cコードは実際には、あまり重要なものではありません。
( 5 ) ただ、重要なのは、0095の頭の0が仮に0ではなく2だと実用書、8だと児童書となり、この場合は売り場が児童書や実用書のコーナーに変わることが多いことです。しかし、今回は0なので、問題ありません。

 前述のコメントは、善意の書き込みと信じますが「原因がCコードにあるのに、あなたは、それを知らない」という趣旨が強く込められています。
 こういう感じのコメントは、さまざまな場面で、良くあります。そのかたの知識に基づいて、わたしがそれを知らないと断定されての書き込みです。

 いえ、その問題はすでに、検討し、原因では無いことが分かっているのです。

▼アマゾンは、そのカテゴライズ ( 分類 ) について、アマゾンが用意したAIがやっていると自ら明らかにしています。
 別の情報によると、このAIには問題があり、前に申したように、本来は料理本なのに、医学本にカテゴライズしたりというケースが頻発し、多くの著者のかたがたから出版社にクレームが届いているとのことです。

 わたしの「夜想交叉路」については、アマゾンのこうした弱点を利用して、悪意によって読者の混乱や誤解を招こうとする動きがある恐れは、前述したとおりです。

▼一方で、愉しい話もあります。
 リアルな本屋さんである紀伊國屋書店のネット上の出店 ( でみせ/ここです ) は、先のこのエントリーに記したとおり、12月22日に一気に「夜想交叉路」の在庫を増やし、実に530冊を揃えてくれました。
 それからわずか、2日、と言うより実質的には1日ちょっとだと思いますが、もう在庫が503冊に減っています。

 これがほんとうに、たった1日強で27冊分、読者が増えたのかどうかは正確には分かりません。
 しかしそういう愉しい出来事である可能性も、ちゃんとあります。

 小説の物語そのものに加えて、モノとしての本にも徹底的に拘って仕上げたのが「夜想交叉路」なので、リアルな書店のネット出店で、もしも多く読まれ出しているのでしたら、わたしとしては、多様な仕事の全部について、おおいにモチベーションが上がります。
 元気が出ちゃいます。

 青山繁晴の原点が、ひとりの物書きであることは永遠に変わりませんから。

▼先ほど、小学生の時から構想して、一部は原稿になっている長編小説について、決定的なインスピレーションがありました。
 書きたいという意欲が湧きます。
 次はノンフィクションの順番だと思い、その原稿にすでに着手しつつ、小説も次の作品について複数、書いている途中の原稿があります。

 ただ、わたしが主権者・国民のみなさんに負託された国会議員である限りは、公務が絶対最優先であることに一切、変わりはありません。
 原点が、物書きであっても、それは不変です。
 したがって、どんなに良い閃きがあっても、「夜想交叉路」と同じように、公務の日程のない深更、未明に、おのれを励ましてすこしづつ書いていくしかありませぬ。

 また今は、国政の志が喪われていることと、年明けの5日からふたつの海外出張に出る準備をすることから、深更、未明も、日程はそんな時間には入っていませんが、公務に一身を捧げ尽くしています。



 
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